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2018年5月29日 (火)

満員御礼

 5月26日、初夏を通り越して、本格的な夏を感じるような中、第21回丘の上チャリティー茶会を催すことができました。250名を超える方々の来会があり、スタッフも入れれば300人を超える方が集ったことになります。看護学生の方々も早くから来てくださり、彼らの制服は、和服とはまた違った趣を添えてくれたように思います。

画像ができ次第、その様子をアップしたいと思います。まずは、御礼申し上げます。

2018年4月 6日 (金)

復活祭の後に

天候に恵まれ、主イエスキリストの復活を喜び、礼拝をささげることができた。まことに感謝な一日であった。

その日の夜、旭川在住のおばさまが亡くなったという電話があった。三浦綾子さんの聖書を読む集いに出られるようになったことから、文学館の立ち上げの時にはDM発送などのお手伝いをしたそうである。いとこにあたる長男の結婚式は、丘の上会堂で行った。昨年娘の結婚式の後見舞ったのが、おばさまとの最後の出会いとなった。

火曜日には、長年中学校教師として奉職されていた方が召された。出会わせていただいてからわずか1か月後、告別式の司式をさせていただくこととなる。子供たち、教えることの大好きだったその方は、やはり中学教師であった父とダブるところがある。その方が心にとめていた聖書の言葉「見ずに信じること」の大切さを、お話ししたい。

復活の主がおられ、今も生きている、お二人のことを思いながら、改めてそのことを感じている。

2018年2月 3日 (土)

こころの底力を保つために

 ようやくたどり着いた会場は、すでに講演会が始まっていた。午前中に、昨年召された方の納骨式を行い、ちょっと出発が遅くなってしまったことと、駅に着いてから会場に着くまでに、予想を超える時間がかかってしまったためである。会場は渋谷駅近くにある、教会。JR渋谷駅も、歩道橋も工事中で、自分の知っている景色とはずいぶん違っていたため、以前の道がわからなくなってしまっていたのである。田舎からたま~に来ると、だめですねー。

 それはともかく、今回の講師は精神科医の香山リカ氏。テレビや雑誌の対談などで話されることに、共感を覚えていたので、最前列でがっつり聞こうと思っていたのだが、当てが外れてしまった。しかし、香山氏独特のため口のような語り掛けが、心地よかった。イントロで精神科医としての悩みというか迷いというか、そういったお話は、大いに納得した。自分は牧師でありながら、人を癒すどころか、かえって悪くしているのではないかと、悩むことが今もあるからだ。医療や脳科学、ゲノム解析の進んでいる時代に、果たして牧師の出番はあるのだろうか、とも思うのだ。

 講演で一番心に留まったのは、人には自らの中に元気になっていく力、回復していく力が備わっているというお話である。同じようなことは、よく言われていることだと思う。しかし、香山氏の体験に基づくお話は、わかりやすく、あらためて人と向き合うことの力をいただいた感じである。ま、山ちゃんペースでやっていくのが、一番。露払いのように、その人が立ち上がれるように邪魔なものをどかし、ときには道を譲って、神様のやしないを信じて、一緒に行ければいい。すくなても、その人が立つことの邪魔をしないようにしよう。明日の説教のキーワードは「生きる」ということ。今日のお話は、糧となりました。

 ちなみに、隣には加来先生が座っておられ、久しぶりの出会いとなりました。「先生の御本を、毎月一回勉強会のテキストとして使わせてもらってます」とあいさつを交わすことができて、これもまたよかったです。教会の80周年記念誌も特別にいただき、とても良い午後のひと時なりました。

 こころの底力、みんな持っているんですね。

2018年1月 6日 (土)

新しい年への期待

 2018年、新しい年、明けましておめでとうございます。

 丘の上新年茶会には、今年も楽しい出会いがありました。3日は自分たちのリフレッシュということで、大みそかから泊っていた中西夫妻と甲府に行ってまいりました。新年度の奉仕教会が甲府になるということと、県立美術館がすぐ近くにあること、そして以前から行ってみたい温泉がそこにある、というためでした。この美術館に行けば、ミレーの作品に会うことができます。「種まく人」は、以前ほかの展覧会で観たことがあったと思いますが、今回はその力強さに改めて気づかされました。また、関東平野で見る富士山との景色の違いも感じることができ、謙信のライバルでもあった信玄は、こういう風景の中で育ったのか、さぞかし海が見たかっただろうな、と思った次第です。
 今年は新しいことが起こる予感がいたします。それは良きことなのか、悪しきことなのか・・・。いずれにせよ、本年もよろしくお願いいたします。皆様に神様の祝福がありますように。

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2017年11月25日 (土)

「信仰生活」あるいは「信仰と生活」 ドア(戸)を取っちゃおう

 本日の丘の上説教は、小野牧師です。中央で語る説教の中から、抜粋しました。

 宗教改革の時代は、ルネッサンス、文芸復興の時代でもありました。それはまた、神中心から、人間中心になる時でもあったのです。ほかの言い方をすれば、信仰と生活が分かれてきた時代だったのです。
 かつて、私たちの国も、神仏を拝むこと、信仰することと生活は一つになっている時代がありました。戦国時代も、実はそうであったのです。現在、県立民族博物館で行われている「上杉家の名刀と35腰」「関東管領上杉氏と埼玉の戦国武将」を見に行ってまいりました。とてもよかったです。123日まで開かれていますので、行かれてみたらよいと思います。
 その図録の中に、上杉謙信の信仰についての解説がありました。謙信は、戦の神様ともいえる毘沙門天を信仰しており、戦の前には、毘沙門堂にこもり戦勝を祈願したということです。信仰と生活が、一緒になっていたといえるでしょう。この当時の人々の生活は神仏を信仰することと一つになっており、それは謙信に限ったことではない、とありました。良きにつけ悪しきにつけ、かつての日本人は、神仏を信仰することと生活が一つになっていたのです。なので、私たちの国に福音が伝えられたとき、この福音と自らの人生を一つに重ねる思考が、すでにあったのだと思います。
 現代社会は、お祭りや宗教行事を受け継いでいても、それは形だけになっていることが多いのです。地域住民との親睦や、コミュニティーつくりの一環となり、神仏を拝むことは、ほぼなくなり、その起源も忘れられてしまいました。しかし本来は、祭りや宗教行事は、人々の生活を作っていったのです。ざっくりいえば、信仰と生活が一つになっていたのです。信仰と生活が分離してしまっている、これが今の時代です。そしてキリスト者も時代の子なので、キリストを信じる信仰と、日々の生活が分離してしまったのです。せいぜい日曜日だけ、神様を礼拝する、奉仕の時だけイエス様に仕える心で頑張ろう、みたいなことになってしまうのです。
 あなたは、大丈夫でしょうか。一日24時間、一年365日、神様は私たちを愛し、恵んでくださっています。ならば、私たちもいつも、そしてどのような時でも、み言葉と恵みに立つ日々を送れるはずなのです。
 街にはクリスマスの飾りつけが、あふれています。教会にも、イルミネーションがつくことでしょう。でもそれは、ひょっとして形だけかもしれません。クリスマスツリーは、かのマルティンルターが、木の枝から見える美しい星の光を子供達に見てほしいとの思いで、切り出した木を家に入れて、ろうそくで飾ったところから始まったという説があります。星の光は、ルターを慰める神様からの贈り物だったのでしょう。6人誕生したわが子のうち、二人も失ったルターは、喜びの日も悲しみの日も、神を信じ、み言葉に立っていたのです。クリスマスの飾りは、彼の信仰を表すものだったのです。頭だけの信仰、生活と切り離された信仰ではなく、それは一つになっていたのですね。

«新しい人を着る  マタイ22:1-14  2017.11.19