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2010年10月27日 (水)

良きものを献げる  2010.10.24

良きものを献げる 1歴代29:10-19

歴代誌の描くダビデは、戦士としての王の姿よりは、神への礼拝者としての姿となっています。

ダビデの生涯を概略してみると、まず神様からの選びによって王としての油そそぎを受けるところから始まります。彼の父エッサイは兄たちの方が王にふさわしいと思っていましたが、神はうわべではなく人の心をご覧になる方だったのです(1サムエル16:7)。サウロの死後王となったダビデでしたが、バテシェバとのこと、子育てのこと、そして晩年の人口調査では、神様の前に愚かな失敗、罪を犯しました。パーフェクトな人物ではなかったのです。王となる前にサウロから逃れていたときは、偽りと略奪というどん底の日々でした。それでも、併せて40年間イスラエルの王として在位し、祝された生涯を送りまし(1歴代29:28)

ダビデが神への信仰者として行った大きなことは、神殿建設のために最善の準備をしたということでしょう。それは神からの命令であり、実際の建築はその子ソロモンに引き継がれました。このことは、教会を建てあげることだけでなく、私たちの奉仕や仕事、家庭の建設や私たち自身の人生をどう生きるかといったことに当てはめることができます。

この事業のキーワードは「自ら進んで」(59)ということです。これは幕屋の建設(出エ35:5)や神殿の再建(エズラ1:6)にも使われている言葉です。私たちの奉仕や仕事も、このような思いで行っているでしょうか?

本日の箇所は、神殿建設の準備が整ったところで、ダビデが祈りをささげている場面です。

10-13節には、すべてのものは天地を造られた神様のものであると記されています。それゆえ、人は神様を賛美し、栄光を帰すのです。

14-16節には、この神への信仰の応答が祈られています。神様から多くを得たので、ささげることができます。今年度の年間聖句は、受けるより与えることの幸いが示されていますが、私たちが与える喜びを持っているのは、まず神様から多くのものを与えられているからに他なりません。旅人であり寄留者であるので(ヘブル11:13)、地上で得たものはすべて置いて、天国に入るのですから、得たものにとらわれる必要はないです(ピリピ3:20)

17-19節には、ささげる心のあり方を記しています。17節の「直ぐな心」とは「正直、正しい心」ということです。真実を持って先祖の功績を受け止め、子孫(ダビデにとっては後継者ソロモン)に引き継がれていくのです。それはダビデがささげる真実な心を持っていたからでした。これが良きものを献げる心なのです。

ローマ12:1 あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

引用聖句

1サムエル16:7  しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

1歴代29:2728 彼がイスラエルの王であった期間は四十年であった。ヘブロンで七年治め、エルサレムで三十三年治めた。彼は長寿に恵まれ、齢も富も誉れも満ち満ちて死んだ。

出エ35:5 すべて、心から進んでささげる者に、主への奉納物を持って来させなさい。・・・

エズラ1:6 ・・・そのほか進んでささげるあらゆるささげ物をもって彼らを力づけた。

ピリピ3:20 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

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