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2010年11月28日 (日)

イルミネーションは輝いていても、心が闇だったら・・・。

2010.11.28(霜月) NO.306 

闇の中の光 ヨハネ1:14-18

暗闇を人の手によって明るくするために最初に用いられたのは、たき火だったそうです。それから「明かり」は大きな進歩を遂げ、今ではLEDという新しい発光ダイオードが至るところで使われるようになっています。

そんな中ですが、和蝋燭を点した燭台や手燭は、捨てがたい趣があります。お茶会の一つである夜噺(ヨバナシ)では、この手燭で暗い足下を照らし、茶室に入ることになります。

クリスマス、日本語では降誕祭といいますが、これはイエスキリストの誕生を祝う日です。神である方が私たちと同じ人となってきてくださったときでもあるのです。人間の思いを超えた、神様のしてくださるみわざです。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」  ヨハネ

1:14

このお方は、まことの光、いのちの光として描かれ、暗闇のような中でも立派に歩むことができると約束しています。

「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。」ヨハネ

1:4

イエスの生涯を聖書を通してみるとき、確かに苦難の生涯でしたが、愛と慈しみを人々に示され、イエスに出会った人たちは恵みを受け、イエスの証し人ともなりました(15-17)。また目に見ることのできない神様を、イエスによって知ることができるのです(18)

しかし人々は、このイエスを受け入れませんでした。それは、今の時代にも通じるものがあります。神様を抜きにしても暮らしていけるではないか、クリスチャンであっても、苦しみを味わっているではないかなど、否定的なことを聞かれることでしょう。神がいてもいなくても何の変わりもない、とも言われそうです。

21世紀になって、最初の10年がもうじき過ぎようとしています。果たして私たちの今の時代は、20世紀に比べ本当に明るくなったのでしょうか。なるほど照明器具は進歩を遂げましたが、人の心はますます暗闇に向かっているような状況ではないでしょうか?他の人や家族、他国のことを思わず好き勝手に振る舞うことは、心の中にある闇から出ていることなのです。

聖書の一言が、私たちの闇を照らす光となり、罪を示して悔い改めに導き、光の中を歩む平安な生涯へと導いてくれるのです。

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」 詩篇

119:105

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