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2010年11月 1日 (月)

いのちを与える

2010.10.31(神無月) NO.303 

春日部福音自由教会 山田豊

いのちを与える ヨハネ10:7-18

本日は4つの会堂で、4人の講師が一つのテーマの元でそれぞれにみ言葉を語っています。そのテーマは今年度の年間聖句にある「受けるよりも与える方が幸い」というものです。これは難しいことですが、いろいろな場面で見られることです。いただいたものを「お裾分け」したり、畑で採れたものをあげたりします。献血をしたり、重い病のために自分の臓器を提供するといったことは、命に関わる与える幸いと言えるでしょう。

しかし命そのもを与えることは、そう簡単にできることではありません。クリスチャン作家である三浦綾子さんは、「塩狩峠」の中で自分の命を与えた愚かな人がイエスキリストであり、この方を信じることによって永遠の命を得ることを、路傍で説教する牧師に語らせています。

聖書には、このイエスキリストがどのような方であるかということを、いろいろなたとえや比喩で表わされています。その中でもよく知られたたとえが本日の箇所にある、「わたしは良い羊飼いです」という言葉でしょう。これは、羊飼いの飼っている羊が私たち人間の姿であるということを示唆しています。

羊が安らかに過ごせるのは、羊飼いに守られて牧場にいるからです。この牧場から迷い出た羊は、自力では帰ってくることができません。迷った羊は、外敵に襲われて殺されたり、大きなけがをしてしまうこともあるでしょう。人間にとって安らかに過ごせるのは、神様と共にいること、神様の愛にとどまっているときです。私たちの間に争いや裏切り、時には他の人の命を奪うなことが起きるのは、神様の戒めに背き、その愛の中から飛び出してしまったからです。神様から離れたところに平安はなく、死があるのです。

良い羊飼いは、羊のために命を捨てることをいといません。それは羊のことを心に掛けているからです。母親はその産んだ子どもを顧みるでしょう。しかしそんな母親に捨てられるような悲惨なことがあっても、イエス様はあなたのことを顧みているのです。

イザヤ49:15 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。

イエス様はここで、「わたしは羊の門です」とも言われました。羊飼いであることと、門であることが同じであるというのです。今日でも大切な建物の門を警護している人は、その門と一体であるかのように、出入りする人を監視し、その任務に命をかけています。

命への道は、イエスキリストがご自分の命を捨てられることによって開かれました。イエスご自身が、道となってくださったのです。十字架上で強盗に約束された「あなたは今日私と共にパラダイスにいます」という言葉は、ヘブル語に訳された聖書を見ると「私と共にエデンの園にいます」となっています。天地創造の時に人間のために用意されたエデンの園は、イエスキリストの故に新しい安息の場として回復されるのです。

ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

神様の救いは、特定の人たちに限定されるものではありません。人種や地位や立場などいろいろな違いを超えて一つになるために、イエス様がご自分の命を与えてくださったのです。

良き羊飼いであり、門であり、そして道であるイエスキリストを通して、安息の場に立ち返りましょう。

ローマ3:23 罪から来る報酬は死です。しかし神のくださる賜物は、私たちの主キリストイエスにある永遠の命です。

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