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2010年11月21日 (日)

なぜ正しい人であっても苦しみを受けるのか?

2010.11.21(霜月) NO.305 

主のみ名をたたえよ ヨブ1:13-20

悪いことをしていない、むしろ善良な人に、自らの責任ではない苦しみを味わうという理不尽なことがどうして起きるのでしょうか?ヨブ記は、まさにこのテーマを扱った、聖書の物語です。

このヨブ記の書かれた年代は、聖書自体にそれを示す箇所はありません。イスラエルの王国時代、あるいは他の国の捕囚となった苦しみの時代に書かれたといわれています。そうであれば、この書は、民族の苦難をその背景に持っていると言えるでしょう。

ヨブは、ある日突然「喪失」の体験をします。飼っていた家畜たち、若い使用人、そして自分の息子と娘も失ってしまうのです。さらに体中に悪性の腫物ができて健康を失い、全く絶望的な状況におかれてしまいました。それでも彼は罪を犯さず、神様に愚痴をこぼすこともありませんでした。そんな夫を見て、妻は「神を呪って死んでしまえ」と言うほどでした。喪失の体験は、生きる力を奪うことです。

そんなヨブに三人の友人が訪ねてきます。最初はあまりのひどさに何も語ることができずにおりましたが、次々に言葉を掛け、ヨブの苦しみを和らげるどころかかえってひどいことになっていきます。そこにもう一人の友人が現れ、あろうことかこの3人をも非難してますますヨブを追い詰めることになってしまいます。結論から言えば、このような苦難の中でヨブは砕かれ、救い主に自らを明け渡します。

「私は知っている。 私をあがなう方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たされることを。」  ヨブ19:25

財産や健康を取り戻し、子ども達も与えられたのです。夫をののしった妻は、ずっとヨブに付き添っていたようです。これは唯一幸いなことであったと言えます。

この物語を、人は自分に当てはめて慰めを得るでしょうし、またある方は「自分はヨブのように強くはない、神を呪って死んでしまうかもしれない」と否定的にとらえるかもしれません。「こんな話は作り事」と、はじめから突き放してしまう方もあるでしょう。

ここに、このヨブのような生涯を送った方がいます。それが、主イエスキリストです。人として生まれ、私たち同じ喜びや苦しみを経験しました。伝道の生涯においては、サタンの試みから始まり、人々の手に引き渡され、十字架につけられるという悲惨な苦しみを味わったのです。それは、私たち人間の罪から出た神の罰を受けるという苦しみでした。しかしその苦難の中で父なる神様に従われ、私たちのために救いをの道を開いてくださったのです。

苦しみの中でも主を認める、主のみ名をたたえる力を、私たちも受けることができますように。あなたには、この苦しみを味わった主が共にいてくださるのです。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。   ヘブル12:1

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