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2011年1月

2011年1月30日 (日)

こんな大雪でも、春になれば雪はとける

2011.1.30(睦月) NO.313 

救いの喜び イザヤ35:110

過日、トリノオリンピック女子フィギュアスケート金メダリスト、荒川静香さんを取り上げた番組を見ました。「スケートを楽しみたい」という思いがこみ上げてきたとき、それまでの重圧から解放され、オリンピックにおいては会心の演技ができたと話していたことが、印象的でした。

イザヤが南王国ユダで預言者としてその働きをした時代は、強大なアッシリア帝国からの脅威がありました。国家滅亡の危機が迫っているにも関わらず、王をはじめ民衆が心砕かれて神に立ち返り、結果としてエルサレムは蹂躙されてしまいます。

私たちの国では国会が開かれており、首相の所信表明演説に始まり各党の代表者による質問の様子が中継されました。そういったことを垣間見て、どのように思い、何を感じられたでしょうか。「この国はこれからどうなるのだろうか?」という不安を抱く人もあったかもしれませんね。個人の生活においても、希望を持つ部分よりは、不安な要素の方が多いかもしれないのです。

イザヤは、国家存亡の危機にあっても、この国が回復されることを、自然界の営みにたとえて預言しています(12)。どの国でも、花が一斉に咲くときというのは、人間にも何かしらの力や希望を与えるものです。長い冬を過ごした人にとっては、黒い土が見え、花が咲き誇る光景は、うれしいものです。

そこで、体も心も強くするようにと、命じられています(34)4節の復讐とは、神による正しい裁きのことであり、人々の救いを意味します。こうして人々が神に立ち返って救われるとき、人間も自然界も癒され、回復されていくのです(5-7)。ここに記されていることが、文字通り起こることがあります。奇跡的に病が治ったり、荒れ地が開墾されて作物の実りを見る豊かな地になったり、人が住んで文化的な生活のできる環境が整えられていくことが起きるのです。

このようなことは、私たちの神さまのとの交わりという霊的な生活、あるいは、目に見えない精神的な生活の中でも起こることです。絶望の中にあった人が生きる希望を持ち、悔い改めて神さまに立ち返ることを意味します。

これは神さまに通じる「大路」といえます(89)。それはまた、聖なる道とよばれ、神によってあがなわれた人が通る道なのです。主イエスキリストは、私たちを罪から救い神さまへと至る道となってくださったのです。

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。  ヨハネ14:6

ここに真の喜びがあります(10)。シオンは来るべき神の国を表しています。主よってあがなわれた者は、その方とお会いできることを喜びとして、過ごすことができるのです。

今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

1コリント13:12 

2011年1月29日 (土)

捨てられても、見捨てられない

ある日、教会の玄関に段ボール箱がおかれていました。中には、目の開いたばかりの子犬が5匹、入っていました。そしてこんな紙が置かれていました。

教会の親切な方へ。育ててあげてください。

そんなこといわれても、困ります。犬の好きな人はいるでしょうが、教会には犬の嫌いな人も来られます。でもこのままでは、かわいそうなので、皆さんに声を掛けました。かわいらしく見える子犬から引き取られ、2匹残りました。あまり受けが良くなかったのでしょうか・・・・。

月日は流れ、引き取って行かれた3匹はすくすく育ちましたが、やがて死にました。残った2匹は雄と雌でしたが、雄のタロウは3年ほど前に行方不明になり、未だに行方が知れません。ハナはご近所のTさんの家の庭にいるのですが、Tさん宅の犬も亡くなってしまいました。ただ一匹になったハナは、今も命を生きながらえさせ、犬年齢で19歳になろうとしています。

この寒さの中、一人(一匹)身をさらされつつも、生きているのです。オー、ロンリネス!

今では、散歩する足 もよろけており、近くの貝塚まで行ってかえってくるくらいです。タローといっしょにこちらが引きずられるくらいの勢いで走っていたのは、遠い過去の思い出です。ここまで生きているハナ、いや生かされているハナちゃんに頭が下がります。天寿を全うするまで、元気でいてほしいです。

捨てられていたハナですが、神さまには見捨てられてはいないのですね。

Photo

2011年1月25日 (火)

御大典道路

ランニングをしているときに発見した石碑は、大典道路碑でした。学芸員のAさんに問い合わせてわかりました。もっとも、これはほぼ常識だったようで、自分の知識のなさにちょっとがっかり。

Aさんによれば「これは昭和天皇の即位式を記念して造った道路の記念碑だと思われます。昭和3年の日付ですからほぼ間違いないでしょう。この年に即位式が行われてます。ご存
じのように、大正天皇は大正15年の12月25日に亡くなってますので、昭和元年は
6日しかなかったんですね。元年生まれは貴重です。そして翌昭和2年は大正天皇の喪
に服す年でしたので昭和天皇の即位式は行われずに、この3年に行われたようです」とのこと。

確かに昭和天皇の即位式は昭和3年に行われ、この即位式を記念して造られた道路が、いろいろな地域にあるということがわかりました。

では、この石碑はどのような経緯で建てられたのか?

昨年5月に行われた¥第3回ふるさと蓮田の歴史探訪まち歩き」では黒浜地区を歩き、この石碑についても解説があったようです。そこで、蓮田市役所に問い合わせてみましたが、あいにく要領を得た回答を得られず、後日連絡をしてくださるということになりました

走っている途中で見つけためずらしいものを、ちょっと知りたくなった市民ランナーでした。

S10dorohi

2011年1月24日 (月)

その先へ

今日は、特別スケジュールのない月曜日だったので、夕方もと荒川沿いを走ってみた。

川島橋(なかよし橋と書いてあった)まで、丘の上から5キロの距離である。数百メートル先に、東北自動車道が見えたので、そこまで走ってみた。ここから約5キロ先に、白岡公園がある。地図でしか見ていないので、どんなところかわからないが、住宅地にある小さな公園だと思われる。S6nakayoshi

そこまでは丘の上から10キロほどである。白岡まで来て帰りも走れば、ハーフマラソンに近い20キロほどの道のりを走ったことになる。

今日は、東北道から先を眺めて、引き返してきた。当面のゴールは、まだ先だ。やっぱり疲れますね。はたして、ハーフマラソンを走りきることができるのだろうか?

東北道からの眺め。この先に、当面のゴールがある。

S8sonosaki3

途中で見つけた、何かの碑。道路を造ったときのものなのか?こんな新しい発見があるのも、ランニングの楽しみではある。

S10dorohi

2011年1月23日 (日)

神さまの召しは、変わることがないのか?

2011.1.23(睦月) NO.312 

苦難の中で立つ イザヤ6:-13

昨年倒木した鶴岡八幡宮の大銀杏が、根元からひこばえがたくさん出て関係者をホットさせていると言うことです。当初は再生不可能とまで言われたそうですが、今となってはその生命力を受け継ぐシンボルとなっています。切り株を、しっかり残したからですね。

国家存亡の危機にあった南王国ユダで、イザヤは預言者としての召し(コーリング)を受けました。誰を遣わそうかという、神の声に応えたものでした(8)。今でもこのようなチャレンジを受け、将来神さまのために働きたいと心を定めた人が多くいることでしょう。しかし神様の召しは、牧師や宣教師にだけ与えられるものではありません。あなたが今いるところで、イエスキリストの証人となること、与えられた勤めに励むことも、神の召しに応えて生きることと同じです。

イザヤは預言者として神の言葉を語ろうとします。ところが、その言葉に耳を貸すことなく、心を堅くするように言えというのです(910)。これは一体どういうことでしょうか。民に神の言葉を聞いてほしいという願いの逆説的な言い方かもしれません。しかしこれは、イエスさまが引用されているように、神の言葉を聞く人々の頑なな心を表していることなのです(マタイ13:1415)。イザヤにとっては、まことに不条理なことだったでしょう。神様の召しに応えて立ったとしても、これでは意味がないではないかと、働きを放棄してしまうような状況です。「いつまでですか?」と問うたのも無理はありません。けれども、私たちもまた、神の言葉に聞かない、神の御心を拒絶するという頑なな心を持っているのです。

だれか、初めから告げて、われわれにこのことを知るようにさせただろうか。だれか、あらかじめ、われわれに「それは正しい。」と言うようにさせただろうか。告げた者はひとりもなく、聞かせた者はひとりもなく、あなたがたの言うことを聞いた者もだれひとり、いなかった。 イザヤ41:26

彼が立ったとき、その背景にあるのは「死」でした。イザヤはウジヤ王が死んだ年に、聖なる神を見、召されたのです(13)。また彼は、自分自身に絶望する体験、いわば、自分に死ぬほどの落ち込み経験をしました(5)。また、他国の侵略を受けて町は荒廃し、人々は連れ去られ、ユダ王国が滅亡すると告げられました(1113)。イザヤの働きは、このような苦難の中で、希望のない状況の中で、始まったのです。

しかし神さまは、「切り株」を置いてくださっています(13)。神さまの言葉を聞く人たちがいたのです。北王国において、エリヤが神につくものは自分しかいないと絶望したとき、神を愛する者が残されていることを知ったのと同じです(1列王記19:18)

しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」

あなたは、周りの状況が整っている時だけ、ご自分の仕事や奉仕につとめるのでしょうか?無力な自分に絶望したから、もう何もできないのでしょうか?神につながっているなら、また、神の御心に根を下ろしているなら、あの大銀杏の例を挙げるまでもなく、そこから芽が出て葉をつけ、成長して、豊かな実を結ぶことができるのです。神の召命に応えていこうとするその心の内に、神さまの力が秘められているのです。

2011年1月21日 (金)

がんばれ、ママさんランナー!

1月19日の読売新聞埼玉版に、あのママさんランナー伊藤夕子さんの記事が掲載されました!うちは、祖父の代からA新聞なので、彼女からも見せていただいて知りました。

いやあすごいですね。全くの素人なのに、小さなレースに出たことがきっかけで走るスイッチが入り、ウルトラマラソンの日本代表にまでなってしまったんですから。でも、記事にもあったように、そこでの結果が思わしくなく、2011年の大会が突然中止となり、走る目当てを失ってしまいました。

そんな中でも、まずは今月のレースからまた走り始めようと心を強くしたとのこと。さすがですね。私が尊敬するのは、一家の主婦として家事に勤め、ご主人に仕えておられることです。昨年の大凧マラソンの次の日は教会ピクニックでしたが、しっかり子ども達のお弁当をつくって参加してくれました。

何より驚いたのは神宮外苑24時間チャレンジで一日中走ったあと、某ファミレスで夜のパートをちゃんとされたことです。

私だったら、ゆっくり温泉にでもつかり、数日お休みをいただくところです。彼女が強いのは、自分を見失うことなく、優先順序をきちんとわきまえていることなんだと思います。

「仕事は楽しく、趣味は厳しく」とはある友人の言葉ですが、そんなところにも通じると思います。来月は、春日部市の最優秀選手としても表彰されるとのこと。ちょっと走りにくくなるかもしれませんね。これからも、自分を見失うことなく、ヤマリンのようなおじさんにも元気を分け続けてください。

2011年1月18日 (火)

キツツキ

今日も冬晴れのいい天気でした。風はなかったのですが、結構冷え込んでいました。

でも日の当たるところは少し暖かく、いい気持ちでしたね。

地主さんの家に入る道にはさくらの木が植えられています。鳴き声に見上げると、シジュウカラとキツツキが見えました。キツツキを写したのですが、わかりますか?

Kitsu2 Kitus1

2011年1月17日 (月)

レルヒ列車登場!

ついに、レルヒさんが山手線をジャックした!

1月12日はスキーの日、それはこのブログを見てくださっている方は、ご存じですよね。スキーの日にあやかってかどうかは知りませんが、あのゆるキャラであるレルヒさんが、山手線の列車に登場。うちの子どもが携帯で撮ってきたのが、この画像です。

Lerch3 鮮明でないのが、残念!

しかしそこは大都会。スキーや新潟県を愛する人がいて、ネット上にもっときれいに写っているレルヒ列車がアップされていました。

田舎に電話を入れたところ、私の実家では1メートルほどの積雪とのこと。スキー発祥の地金谷山は歩いて約30分くらいの所ですから、2月のレルヒ祭には十分な雪があることでしょう。もちろん、大雪はたいへんな被害をもたらすこともあるのでそう喜んではいられませんが。

レルヒ列車をみたら、新潟に出かけてみてくださいね。

2011年1月16日 (日)

空の空とは

2011.1.16(睦月) NO.311 

人の本分 伝道者の諸12:9-14

「武士の一分」は藤沢周平原作の小説を映画化したもので、なかなか面白い作品でした。やはりラストで、二人の武士が互いの一分を掛けて果たし合いに臨むところが良かったです。

伝道者の書は、聖書の中でも哲学的で難解な書と言えるでしょう。しかしこの書の言わんとしているところ、結論は明確に記されています。それがこの12章であり、特に13節であると思われます。

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。 伝道者12:13

また本書に出てくる言葉で、特に日本人の心をとらえるのは「空」ということばでしょう。

1:2 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。

12:8 空の空。伝道者は言う。すべては空。

仏教の経典に「般若心経」があります。漢字で262文字のたいへん短いものなので、たとい意味はわからずとも口で唱えることができ、写経もよくなされています。その中でも「色即是空 空即是色」はよく知られています。ここでいう「空」と伝道者の言う「空」は、同じ意味なのでしょうか?牧師であり仏教大学でも学ばれた大和昌平先生は、それは違うと明確に述べておられます(「牧師が読みとく般若心経の謎」実業之日本社)。聖書は、神さまを知らない人生のむなしさを語り、創造主である神さまを知ることこそ、幸いな生涯であると説くのです

ビジネスの世界だけでなく、時間を守らない人は信頼されません。ですから私たちは時計を持ち、手帳でスケジュールを確認し、仕事や事業の段取りをします。物事をなすには、期限があることを知っているからです。しかし私たちは、自分の人生にも期限があることを本当に知っているでしょうか?詩篇90:12で学んだように、「私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。」と言わざるを得ないのです。

伝道者の書ではそのことを、老年になったり、体の自由がきかなくなる前に、神さまを知るようにと強く勧めています()。また、2-7節は、この世界の終わりのたとえと共に、人間の気力も体力も衰えることを自然の営みを例にして説いている箇所です。特に6節の「銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。」は、人の命がついに朽ち果てることを表していて、心に迫るものがあります。

このような有限な人間は、古今東西、あらゆる書物を調べ英知を求め、幸いを追求してきました(9-10)。しかし最も大切なことは、神の言葉に聞くことです。それは文字通り私たちの牧者であり(11-12)、神の言葉が人となったイエスキリストに聞き従うことに他なりません。

わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。ヨハネ10:14

人は自分の心を見つめ深めれば、幸いな生涯を送れると思います。そうではなく、造り主である神さまのみこころを求め、その神の言葉を聞いて歩んでいくことが、人としての本分なのです(13-14)

2011年1月14日 (金)

スキーの日

 去る112日は、日本スキー発祥の日でした。といっても、多くの方はご存じないと思います。今からちょうど100年前の1911112日に、我が郷里新潟県上越市(高田)にある金谷山でオーストリアの軍人テオドール・フォン・レルヒ少佐によってスキーの指導が行われたのです。今年はあいにくの雪模様でしたが、当時をしのぶ着物姿で竹竿のようなストックを一本手にした滑降が披露されました。ありがたいことに、この様子はニュースで流され、朝日新聞には12日の天声人語と翌日には小さな記事として紹介されました。

 

ここまでは、まあ皆さんに知られているところなのですが、レルヒ少佐の指導を受けた人で、後にキリスト者となった軍人さんがいたことはあまり知られていません。その人が以前ブログに書いた小野五郎氏で、当時は少佐でした。小野五郎氏は高知県宿家町生まれで、日露戦争で活躍した方であり、ドイツ留学の経験がありました。新潟県内の連隊にいましたが、このスキー練習のために高田に招集され、ドイツ語の通訳を任されたようです。小野五郎氏はそれから20年後の1931年のクリスマスに淀橋教会の小原十三司牧師より洗礼を受け、キリスト者となりました。その後は少年院での働きをされ、58歳で召されました。

 

金谷山(かなやさん)にはスキー発祥記念館がありますが、五郎氏の長男、小野修一氏をはじめ親族の方が訪れてくださいました。そしてその孫の一人が、当教会の牧師小野信一師であり、奥様と一緒に記念館を訪ね、このお話を館長の小堺昭一氏にお伝えすることができました。2002年のことです。五郎氏が受けた信仰が今も受け継がれているのです。面白いことに、そのとき私の父を連れて行ったのですが、その館長さんとはすれ違いで同じ中学校の教師として赴任した先輩、後輩であることがわかり、さらに受付の方が私の弟と高校時代の同級生ということもわかり、話が大いに盛り上がりました。神さまの不思議な導きでありました。

 

加えて、レルヒ少佐が赴任されたとき、カトリック高田教会のフリーゼ神父が、軍から依頼されて将校達にドイツ語とフランス語を教えておられたそうです(高田教会便り2011.1.1号 カトリック高田教会)。神父とレルヒ少佐の間に、交わりがあったと思われます。教会にも来られたかもしれませんね。

21112日はいよいよレルヒ祭。寒い冬の中で、上越はスキー発祥100を記念して、さらに熱くなることでしょう。

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金谷山にてスキーの指導を受ける小野五郎氏(中央)

左が、レルヒ少佐

2011年1月11日 (火)

歩け歩け~丘の上健康体操

第2回目の丘の上健康体操が本日11日午後、おこなわれました。タイトルは「楽しい健康体操」というもので、接骨院の院長である坂路孝夫先生から、本当に楽しく指導していただきました。ご近所の方もあわせ、14名の参加者でした。

バイタルチェックの後、基本動作をまず覚え、音楽に合わせて手を上げたり下ろしたり。童謡や唱歌が流されて、思わず歌いたくなります。次第に複雑な動きになってくると、だんだんリズムに合わなくなってきます。

でもそれでもいいんですって。複数の運動を組み合わせることで、筋肉だけでなく脳も活性化されてきます。テレビを見ているときも、肩をぐるぐる回せば、肩も凝らないというものです。そして基本は歩くこと。足の筋肉に刺激を与えることが、つまずきを避けることになるんですね。

こたつに入ってばかりいないで、少しは足を出して動いてみましょう。

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2011年1月10日 (月)

逆風の中で

今日は成人の日。自分の時は故郷に帰らず、教会の餅つき大会で杵をふるっていました。大学3年生以来、年末年始にも帰省しなくなった私ですが、両親が成人の祝いにと格子柄のブレザーを買ってくれました。次第に小さくなってきたので、似たような体格の人にあるときあげたのですが、今思えば、あのブレザー、取っておけば良かったなあと思います。

晴れ着に身を包んだ女の子や、びしっと決めたスーツの新成人がテレビに映ると、そんなことを思い出してしまいました。

で、アラカンの私は、ランニングを決行。元荒川を北上して黒浜地区まで行き、川島橋で折り返しました。地図で見ると、往復で10キロ近く走ったことになります。行きは北風をもろに受けて、かなりきびしいランニング。逆風の中を通っていることを思わせる強さだったので、こちらも負けじとがんばりました。どうしてこんな風の強い、そしてこの冬一番の寒さの時に走るのか?自分でもわかりません。つらい中を通ってこそ、見えてくるものがあるのでしょう。

5月の大凧マラソンハーフを完走するために、また走り始めました。

2011年1月 9日 (日)

み翼の陰に

今日は、関東東地区の7つ教会による新年聖会、合同礼拝でした。丘の上での礼拝説教はありませんが、講師の堀肇先生の語られた説教で心にとまったことを、少し書き綴りたいと思います。

神さまによって守られているというのは、鳥が翼を広げて、その雛を守るようなイメージです。こたつでうたた寝している子どもに、そっと毛布を掛けてあげるお母さん、そんなところでしょうか。たといどんなにつらく、人にも神さまにも見捨てられたように感じることがあっても、暖かく包まれている、というイメージを持つことは、弱った足を立たせ、冷たくなった心を再び熱くさせてくれることでしょう。

堀先生の説教を聞きながら、一つの歌が思い浮かびました。

いかに恐るべき ことありとも

み翼の陰は 安らかなり

愛の神は いかなる時にも

頼るなが身 保護したまわん 新聖歌311

他の人にも、暖かい毛布を掛けてあげる、その人の弱さを覆ってあげることができたら、自分自身がすてきな人になるような思いになりました。

あなたの身近にいる人に、コートや上着を掛けてあげてはいかがでしょうか?

2011年1月 7日 (金)

姪孫誕生!

さすがに寒い一日でした。皆さんは、どんな一日を過ごされましたか?

今日は、西洋美術館で開かれているデューラー版画展を見に行きました。宗教、肖像、自然の3つの部門に分かれており、聖書関連の書籍載っているデューラーの版画や素描を多く見ることができ、図録を買ってきました。じっくりと見て、聖書理解の助けにしたいと思います。

そこに行く前には、教会での奉仕と、今年初の皇居ランで汗をかいてきました。ジョギングしている人がやはりいて、ここは本当に気持ちよく走れて、なおかつ歴史を偲ぶことのできる面白いコースだと思いました。警備の警察官が多く見られ、護衛のパトカーで進む黒塗りの高級車も走っていました。ここは日本の政治の中心地でもあり、こんなところで走っていて狙われたらどうしよう、などとつまらないことを考えてしまいました。今年は、教会の仲間と大凧マラソンでハーフマラソンに挑戦します。

年が明けてもっとも面白かった、楽しかったのは、帰省したとき実家で私の姪孫との対面です!この言葉、初めて知りました。「てっそん」と読みます。自分の姪の子どものことです。女の子ですから、又姪(まためい)とも言うそうです。自分は、大叔父になるのでしょうか?親戚や親族をどう呼ぶのか、なかなか難しいですね。

そんなことはともかく、とてもかわいいです。名前は陽奈(ひな)。まだ2ヶ月ですがとてもしっかりとした顔で、健康そうです。手と足が大きく、将来は柔道選手に父親はしたいとかしたくないとか・・・。名前の通り、すくすくと育ってほしいと願っています。

Hina お母さんの許可を得てのアップです。

2011年1月 5日 (水)

メーテル スキー!

今から100年前、上越市(旧新潟県高田市)の金谷山(かなやさん)に、メーテルスキー(スキーを履け!)という号令がかかりました。陸軍の雪中行軍として、スキー技術が取り入れられ、オーストリアの将校、レルヒ少佐が掛けた号令が、日本のスキーの始まりです。以来、私の故郷上越は、スキー発祥の地として知られるようになり、今年はその100年を記念するイベントが行われる年です。

スキーが庶民のレクレーションとして広まるには、軍人の長岡外史による指導が大きかったと言われています。「坂の上の雲」にも登場する方です。そしてこのとき、レルヒ少佐から直接指導を受け、またドイツ語の通訳者として関わったのが、当教会の小野先生の祖父でもある小野五郎氏でした。スキー発祥記念館には、レルヒさんと一緒の写真も展示されています。

雪が少ないのが気になりましたが、「2月にはきっと降りますよ」とは店員さんのことば。2月11,12日のレルヒ祭には1本ストックで滑る昔のスキー姿も披露され、きっと盛り上がることでしょう。

帰省した際に買い求めた、レルヒグッズです。果たしてどんな味がするのか????

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2011年1月 3日 (月)

新年茶会の三日間

本日午後7時を過ぎて、最後のお客さんであるAさん家族と、春日部の3代目の髪結いさん、そして浜松出身の介護職員のY君との席で、新年茶会を終えました。今年は、1日の次が日曜日というハードなスケジュールとなりましたが、ゆったりと新春のひとときを過ごしていただけたのではないかと思います。表千家の初釜は、まんじゅうなのですが、丘の上では「花びら餅」をお出ししています。今年もおいしかったと言うことで、感謝しています。

小間と広間の写真です。                                                                                          

Koma2 Hiroma2

茶会最後のお点前は、箱根駅伝を制した早稲田大学出身の小野先生でした。正客は、ちょっと悔しい駒澤大学出身のAさんです。

今年もお茶会の営みや学びを通して人との輪が広がり、聖書の世界をお茶を通して味わっていきたいと思います。春のチャリティー茶会は5月ですので、お楽しみに。

Ono

おせち・懐石風弁当?

ルビーちゃんと一緒に、新年のブランチをいただきました。

おせち風?懐石風?・・・・とりあえず、お重に入っています。

向こう付け:鯛の昆布締め

椀物:例によって蟹しんじょ

お重:村上の鮭、鳥肉のチーズ巻、かまぼことといくら、柚入れ膾、黒豆、栗甘露煮、卵焼き、漬け物、ご飯

今日は新年茶会の三日目。どんな出会いがあるか、楽しみです。

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ケヤッキーから、新年の挨拶

新年明けまして、おめでとうございます。ケヤッキーです。

すっかり葉を落とし、じっと静かにしてます。今は耐えるとき、我慢の時で、ちょっとつらいときもあります。でも、ツリーハウスにお客さんが来てくれると、うれしくなりますね。

主に任せよ なが身を 主は喜び 助けまさん

しのびて春を待て 雪はとけて 花は咲かん

嵐にも 闇にも ただ任せよ なが身を(新聖歌298)

春の芽吹きを望みつつ、皆さんとまた会えることを、願っています。Keyacky110102

2011年1月 2日 (日)

新しい年、幸せの秘訣は

2011.1.2(睦月) NO.310 

心を尽くして 箴言3:1-12

2011年、主にあって、明けましておめでとうございます。

昨年は夏の異常な暑さが象徴しているように、たいへん暮らしにくい年だったように思います。今年の干支である兎にあやかって、新しい年は大いにジャンプして飛躍の時としたいと願っている人が多いのではないかと思います。

古来から、古今東西人は自分の幸せや、家族が平安であること、そして商売や仕事がうまくいくことを願ってきました。そのために努力をし、知恵を求めてきました。箴言は、普通の人生処世術ではなく、神さまの前にある人としての生き方を格言としてまとめたものと言えるでしょう。

神さまの戒めを忘れないことが、まず命じられています(13)。かつて、十戒は石の板に書かれていました。しかし心の板に書き記すように、すなわち、私たちの心徒然生活の中に神さまの戒めが表されるようにという戒めです。主イエスキリストの言葉を思い起こします。

これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」 マタイ22:3840

神と人の前に置いて、思慮深くあることが勧められています(4)

その思慮や考えは、自分の悟りではなく、神の御心を第一とすることです(56)。「より頼む」とは、助けを求めている人が力なくだらりと自分の体が他の人に任せる状態を言います。そのように、神さまにより頼むことです。このみ言葉は、私にとって献身を促すみ言葉であり、自らを省みるいわば座右との銘とも言えるものです。

この世の悪から離れること、きよく歩むことは、私たちの健康の源です(78)。「からだ」とは直訳すればへそのことであり、人の健康はその中心から保たれることの大切さを示しています。ボーイスカウトの誓いに「からだを強くし、心を健やかに、徳を養います」とあるように、全人格的に健やかであることのすすめです。

神さまに良きものを献げよとのすすめです(910)。人間の営みの中で、収穫物の初穂を献げることは、多くの人種、民族の中で見られることです。サンクスギビンデーの起源もここにあります。私たちが口にするものはすべて、神さまから来たことを忘れないようにしましょう。ささげ物は、神さまに対する私たちの献身の表れなのです。

このような箴言があること、時に私たちが厳しいことに直面するのは、私たちに対する神さまの訓練でもあるのです(1112)。しかし、どんなつらいことがあっても、神さまがわたしたちを心に掛けて一人前の働き人にしようとされているその心は変わらないのです。アスリート達も、厳しいトレーニングを経て、表彰台に上がることを目指しているのです。

そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」 ヘブル12:56

2011年1月 1日 (土)

2011年です!

2011年、新年あけましておめでとうございます。

昨年秋から始めたこのブログも、何とか年を越えることができました。

恒例の丘の上除夜祈り会に、7名が集ってくれました。0時ジャストに2011New Year Bell、その後は年越し蕎麦のひとときを持ちました。今年は差し入れで頂いたおそばを堪能しました。鐘の音は、十字架塔が写っていませんので、画像を参照してくださいね。

新しい年も、主にあって、よろしくお願いします。

Bell New_year Soba

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