フォト
無料ブログはココログ

« かんばいとアンコウ | トップページ | 悲惨な町の姿を見て涙が出るのは »

2011年3月 6日 (日)

ついにユダは滅びたが

2011.3.13(弥生) NO.317 

春日部福音自由教会 山田豊

尽きない主のあわれみ 哀歌3:2224

マグニチュード8.8という、巨大な地震が日本列島を襲いました。ニュースを見るたびにその被害が広がり、未だに余震が続き、心が痛む日々が続いています。状況が正しく把握され、速やかな救出と復興を祈っています。

哀歌が書かれた時代は、エルサレムが陥落し、ユダの国がバビロニア帝国によって滅ばされてから間もないときであると、考えることができます。内容は、ユダの人たちの現状を痛み悲しみ、民が悔い改めて、真の神様に立ち返ることを願う哀悼の歌となっています。

本書は、ヘブル語のアルファベット歌であり、3章は各アルファベットで始まる言葉が、3行ずつになっている箇所です。

22節の始めの言葉は、ヘセド(恵み、いつくしみ)です。神様の恵み故に、国家滅亡の中にあっても生きることのできた人たちがいました。神様のあわれみがあったのです。今回の大地震でも、文字通り九死に一生を得た方がおられたことでしょう。これは軽々にいってはならないのですが、神様のあわれみの故ではなかったでしょうか。あわれみという言葉は、「胎、子宮」から来ています。旧約聖書には

ヨセフは弟なつかしさに胸が熱くなり、泣きたくなって、急いで奥の部屋にはいって行って、そこで泣いた。創世記43:30

とあります。また、イエスさまの心を表すのに

また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。マタイ9:36

は、よく知られたみ言葉でしょう。哀歌の著者は、このようなあわれみの心で、神様の恵みのあることをみていたのです。

23節の始めの言葉は、ハダシュ(新しい)です。神様の恵みやあわれみは、常に新鮮なのです。日々、私たちが新しい思いをもって神様と交わるとき、それは私たちの力となるのです。

24節の初めの言葉は、ヘレグ(分け前、受ける分)です。物ではなく、神様ご自身が私たちの受け取ることのできる分なのです。それゆえ、どのような困難なときであっても、主を待ち望むことの幸いがあるのです。受験や就活、婚活など将来の夢を追っている人たちにとって、神様ご自身こそが、私たちの受ける分であることを覚えたいのです。

私たちの主は、ご自分の最後近づいたのを知ったとき、エルサレムを見て悲しみ、涙を流され、やがて起こるべき荒廃を預言されたのです。

エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて・・・ルカ19:41

しかしこれは、滅亡のことだけではありません。イエスさま自身が苦しみを受けて、十字架でその命を落とされるのですが、三日目によみがえり、天に帰られたのです。苦難の中にも、やがて回復されるという希望があるというがあるのです。主の働きを思い起こし、恵みに感謝するとき、主のいつくしみは尽きないことを、体験することができるのです。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。ローマ8:28

« かんばいとアンコウ | トップページ | 悲惨な町の姿を見て涙が出るのは »

礼拝メッセージ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ついにユダは滅びたが:

« かんばいとアンコウ | トップページ | 悲惨な町の姿を見て涙が出るのは »