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2011年3月27日 (日)

終末のサインとは

2011.3.27(弥生) NO.319 

頭を上げて ルカ21:25-36

先の大地震で被災された方のニュースが、毎日のように報じられています。いつ見ても、心が痛みます。そんな中で、避難所で家族や友人と再会し、行方のわからなかった人たちが無事であったことを喜んでいる場面を見ると、こちらまでうれしくなります。どんなに顔を落としていても、再開の時は互いに頭を上げて抱き合ってその喜びを表しているのです。

ご自分の最期の時を知られたイエスさまの顔は、しっかりとエルサレムに向けられていました。

 さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ ルカ9:51

そのエルサレムは、かつては麗しの都といわれるほどでしたが、イエスさまの目にはやがて滅ぼされる都として写っていました。先週学んだように、そのことを知っている主は、その都とのために泣かれたのでした。

エルサレムは、AD66年の第1次ユダヤ戦争、そして132年に勃発した第2次ユダヤ戦争によって破壊されました。皇帝ハドリアヌスによってこの町はローマ風の街並みとなり、ユダヤ人は他の国や地方に散らされて流浪の民となったのです。

都が崩壊するというイエスさまの預言は、このように歴史の中で成就しました。しかしその預言は、この世の終わりであり、新しい天と地が始まる、終末の預言でもあったのです。それは遠い未来のことなので、遠近法に基づいて書かれた絵のように、ぼやっとしていてはっきりとはわかりません。いつ世の終わりが来るか、だれにもわからないのです。

しかしイエスさまは、この世の終わりに起こる様々なことが、まさに世の終わりとイエスさまの再臨を指し示すしるし、サインであると告げられたのです。ルカ21だけで無く、マタイ24、テサロニケ人への手紙にも記されています。それは主イエスさまが、再び来られ、私たちをご自身の中に招き入れるときでもあるのです。それ故、自分の頭を上げて、神の国を見ることができるのです。それは、世の終わりに臨む信仰者の姿勢をも表しています。あなたは今、やがてその日が来ることを信じ、神の国を仰ぎ見ていますか?

その日を待つにあたっての、注意事項というべきものが記されています。世の終わりに臨む信仰者の心構えと言ってもいいでしょう。

まず第1は、惑わされないようにすることです(8)。今回の大地震や原発の事故を巡っても、偽りの情報に惑わされてはなりません。世の終わりに臨んで偽キリストや誤った風評に踊らされてはならないのです。第2は、山に逃げることです(21)。文字通りの高台であると共に、私たちの信仰を神様中心のものにするということです。第1のものを第1にすることこそ、祝福の源なのです。そして第3に、油断せずに祈っていることです(36)。祈りは、私たちに落ち着きを取り戻し、賢い判断を与え、進むべき道を指し示すものとなるのです。

この世界は、やがて滅びます。しかし、神の言葉は失われること無く、その言葉通りになるのです。そしてイエスキリストと再びあう時がやってくるのです。この希望があるので、私たちは頭を上げて進むことができるのです。

 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。

私の助けは、天地を造られた主から来る。  詩篇1212

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