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2011年3月 6日 (日)

立って陶器師の家にくだれ

2011.3.6(弥生) NO.316 

主の手にある土塊 エレミヤ18:112

本日の箇所は、エレミヤが陶器師の家にくだって見た光景が、ユダに対する神様のメッセージとなっているところです。陶器師は神様ご自身であり、その手の中にある粘土、土塊はユダの人々です。ユダの人々とは、すなわち、私たちのことでもあるのです。

クリスチャン陶器師である椿巌三さんは、益子町の隣の茂木町で「ベウラ陶房」を開いています。何度もお邪魔させていただきましたが、神様の造られた自然の中で、3連の登り窯ですばらしい作品を生み出しておられます。その椿さんは、粘土には他にはない3つの特徴があるといわれました。第1は、自由に形を作れること、第2は作り直しができること、そして第3は、焼けば固まり、変質しないものになる、ということです。

エレミヤが見たのは、ロクロをひいて気に入ったものに作り直している陶器師でした。彼が作品を作り直すのは、できあがったものが気に入らず、さらにより良いものを作りたいためです。彼の思いを、何とかして表現しようとしている姿です(14)

陶器師が粘土、すなわち土塊ををその手で扱いまた作り直すのは、ユダの民が悔い改めて、神様に立ち返ることを表しています(51)

ユダの民、また私たちは、神様の御手の中にあります。人の営みは、創造主である神様のご支配にある、ということです。

この時代、北王国イスラエルがアッシリヤによって滅ぼされ、今南王国ユダもアッシリヤの脅威にさらされていました。国家的な苦しみがあったのですが、それは政治的な理由だけではありません。最も根本的なことは、ユダの人々が、真の神様に背き、神の言葉を聞かず、自分勝手に振る舞っていたからです。このまま行けば、ユダは他国によって滅ぼされてしまうことを、エレミヤは告げたのです。

神様のメッセージは、ユダの民が悪の道から遠ざかって、神様に立ち返るように、ということでした。それは、民が滅びの道から救い出されることを願う、神様の愛からでたことでした。ここに、民を顧みる神のあわれみと、ご自身に立ち返らないものは滅んでしまうという厳しさがあります。

見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。

ローマ11:22

しかしユダの人たちの心は頑なでした。自分勝手な道を進んでいったのです(12)。これは今の私たちの心と同じかもしれません。

粘土は、奥深い地中から陶器師によって掘り出され、砕かれ、形を作られ、そして火で焼かれて人々の目に触れる作品となるのです。神様は私たちを罪の中から救い出し、神様の作品として新たに私たちを造り変えることがおできになるのです。

神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。コロサイ1:13

陶器師である神様の御手にあるとは、私たちが砕かれて、キリストの姿に似たものとさせられていくことに他なりません。

私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。ガラテヤ4:19

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