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2011年5月22日 (日)

失ってこそ、得るものがある

2011.5.22(皐月) NO.325 

教会誕生の備え 使徒1:111

動物や植物など、あらゆる生き物は新しい命の誕生のために、それぞれの備えをいたします。教会の誕生は、イエス昇天後の最初の五旬節(ペンテコステ)の時でした(使徒2)。今日では、聖霊降臨日として教会歴に入れられています。

教会は、イエスキリストを信じる者の集まりであり、聖霊によって生み出され、今や全世界に広がるものです。あえて英語を使えば、グローバル、インターナショナルなものと言えるでしょう。教会がそれぞれの国や地域に建てられており、各々の歴史や文化の中で異なる教会の姿があります。普遍的でありつつ、独自な教会があると言えるのです。

その教会が誕生する備えは、どのようなことだったのでしょうか。

イエスは、エルサレムにとどまるよう命じられました(4)。それはかつて語られた約束の聖霊を受けるのを待つためでした。

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。 ヨハネ14:16

エルサレムは、弟子たちにとってイエスが処刑された場所であり、彼らもまたユダヤ人にその命を狙われていると思われる場所でした。できればここから逃げ出し、郷里に帰って普通の生活を取り戻したかったかもしれません。しかしイエスはその困難なところにとどまり、主の約束を待つように命じられたのです。待つことが備えになるのです。

待っていた弟子たちは、共に祈り合っていました(14)。この祈りの姿は、五旬節の日にも見られたことでした(2:1)。旧約聖書の時代から、祈りは待つことの力になります。一人であれ、他の兄弟姉妹と一緒でもあれ、神様の前に出て祈ることが、教会誕生の備えに欠かせないのです。

私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます。 詩篇130:6

イエスの昇天後、12人の弟子たちには一人欠けがありました。彼らは神様のみこころを求めるためにくじを引き、マッテヤがその仲間に加えられました(26)。欠けているところ、必要な人材が補われたのです。教会の誕生のために、目に見えるところが整えられたと言える、できごとです。また、弟子という言葉から、使徒(遣わされた者)に変わっていることに、注目してください。

このようなことの他に、全てを失うということが、新たに教会が生まれるために必要なことであるように思います。4月末に訪問した嶺岸先生ご夫妻は、地震、津波によって会堂も牧師館も失いました。しかしご夫妻からは、全てを失ったからこそ神様だけに信頼するすがすがしさを、感じたのです。神への信頼こそが、教会誕生にあたって最も必要な備えなのだと思わされました。

悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。2コリント6:10

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