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2011年5月 8日 (日)

母の日に

2011.5.8(皐月) NO.323 

みこころを行う者 マタイ12:46-50

本日5月の第2日曜日は、母の日です。アメリカの教会で始まったことが、日本の暦に取り入れられた記念日です。賛美歌や聖歌に母の日の賛美がありましたが、なぜか新聖歌には入っていません。しかしよく知られている「いつくしみ深き」(新聖歌209)は、婚約者を事故と病で2度も失ったジョセフ・スクライブンが、その知らせを聞いて悲しみにくれている母親を慰める為に作った詩が元になっている賛美歌で、これは母の日にふさわしい賛美であると思います。

イエスの母マリヤは、今日でこそ崇敬の対象ともなる人物ですが、聖書ではどのように描かれているのでしょうか。福音書では、母マリヤはイエスとは少し距離をいているように、描かれています(ヨハネ2:4)

すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」

また、イエスの伝道生涯において、周りの人たちも、マリヤが特別な存在であるとは気づいていませんでした(ヨハネ6:42)

  彼らは言った。「あれはヨセフの子で、われわれはその父も母も知っている、そのイエスではないか。どうしていま彼は『わたしは天から下って来た。』と言うのか。」

あるとき、イエスさまが大勢の人に囲まれているとき、イエスの母と兄弟たちがやって来ました。親切な人が、家族の者を引き合わせようとしたときに言われた言葉が、本日のテキストです。これもまた親や兄弟たちを突き放したような言葉です。このような状況になれば、だれでも身内の人には気を遣い、当人たちもそっと家族と会話を交わすでしょう。ですから、人々はイエスの言われたことに当惑したことでしょう。しかしこのときのイエスの言葉は、普通の家族ではない、神様を中心とした新しい家族関係が生まれることを予見していった言葉なのです。それは、神のみこころを行うものはみな神の家族であり、人の生まれや出自に関わりなく、イエスキリストを中心とした祝福された者となることを告げているのです(ヨハネ1:12,13)

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

この新しい家族の営みは,イエスの十字架上の言葉にはっきりとあらわされました。自分の子を悲惨な仕方で失うという悲しみの中で、マリヤはこの言葉を希望を持って受け止めたと思います。かつて心に留めておいた言葉が、よみがえってきたことでしょう(ルカ2:3435)。苦しみを受けられたイエスこそ救い主であり、神は人々の救いを願っておられるとの御心が示され、この方を信じることにより新しい神の家族としての営みが始まるのです。

私たちの主は、父なる神のみこころをおこなうために、この世に来られました。それが、イエスの食べ物でさえあったのです。イエスの十字架にこそ、神のみこころが表され、そのみこころを行う者にこそ、神の家族としての祝福があるのです。

わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。マタイ7:21

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