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2011年7月24日 (日)

教会のミッションとは

2011.7.24(文月) NO.331 

みことばを語る 使徒4:23-31

日本女子サッカーチーム「なでしこジャパン」のワールドカップ優勝は、日本中に感動と勇気、元気を与えたできごとでした。チーム全体が一つになって目標、夢をかなえるために突き進んで行く姿が、感動を与えたのだと思います。

私たちがあることのために一つとされるとき、大きな力を発揮できることは、経験的にも知っていることです。しかしながら、何のために一つとなっているか、何に向かっているのかということは、良く吟味されなくてはいけません。時に人は神様に逆らうために一つとなることがあるのです(26b)

民の指導者に捕らえられたペテロとヨハネは、議会で堂々と弁明したので、脅された上で釈放されました。二人は仲間のところに帰ってくると、彼らが受けた仕打ちを残らず報告しました。教会の交わりは、苦しみをも互いに分かち合い、お互いに支え合うものです。実際には、教会に集っている人数によって難しいことであるかもしれませんが、本音で語り合い支え合う「仲間」のいることは幸いなことです。

この教会は、神を賛美することで心を一つにしていました(24)。神様は、天と地と海とその中にある全てのものを造られた創造主です。その方が人として来られ、私たちに救いのみわざを成し遂げくださいました。しかし、この世の人たちはそのことを知らず、また受け入れず、かえって神様に反抗してキリストを十字架につけて殺してしまったのです(25-28)。どのような中でも、造り主を覚え、この方に目を向けて賛美することは、私たちを再び立たせる力となります。私たち自身が、この神によって造られた尊い存在であるからです。

教会は、祈ることにおいて心を一つにしていました。これは教会が誕生する前から見られた、弟子たちの営みでした(使徒1:14)。確かに、キリスト者が二人、三人と集うところに、主はいてくださいます。共に祈ることが、かたちの上ではできるでしょう。しかしお互いの間に、互いに尊敬し信じ合うことができなければ、一つになって祈ることは難しいのではないでしょうか。共に集って祈ることを大切にする教会の交わりを、さらに深めていきたいものです。

またエルサレムに生まれた教会は、みことばを語ることにおいて一つでした(29)。ピリピの監獄捕らえられたパウロも、苦しみの中で祈りの要請をしましたが、それはみことばを語ることでした。これこそが、教会の使命であり、ミッションなのです。

それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。(ピリピ1:20)

私たちの神様が、3つのご人格を持ちながらも一つであるように(ヨハネ17:11)、教会が一つであるとき、困難の中でも教会の使命を果たしていくことができるのです。

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