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2011年8月 7日 (日)

目に見えない方がいてくださる

2011.8.7(葉月) NO.333

教会の交わり 使徒5:1216

今私たちが感じている不安は、目に見えないものがあり、それが自然界はもとより、我々人間にも長期にわたって健康を害す元となっている、ということではないかと思います。すなわち、放射線の被害です。3.11の出来事をいっそう深刻にしているのがこの問題であることは、だれもが感じていることです。

5:11のみ言葉は、アナニヤとサッピラに起こった出来事が、教会全体に非常な恐れを起こしたことを告げています。使徒に働きにおいて初めて「教会」ということば出てきますが、五旬節の聖霊降臨の出来事をとおして3000人の人たちが仲間に加えられ、教会の交わりはすでに生まれていたのです。その教会に恐れがあったということは、教会は単なる仲良しグループのような集まりではなく、神に対しても人に対しても、きよい思いで集うべきところであることを示しています。

確かに、教会ではお互いに分かち合う交わりがあり、神様の力による奇跡的な癒やしが行われていました。しかしながら、人々の尊敬を受けていたとしてもこの交わりに入ろうとしない人たちがいたことは、このような教会の神を恐れる姿勢を感じ取っていたためかもしれません。

地域にある教会として街の人たちを見るとき、定期的に礼拝に集うわけではありませんが、教会やキリスト教に対して関心を持っている、好意を持ちいろいろと協力してくださるという方があります。

もちろん、教会の交わりから遠くにいる人、むしろ教会やキリスト教に対して反発を感じている方もあるでしょう。初代教会も、エルサレムにおいては、同様な状況であったと思います。それでも、主を信じる人が起こされ、少しでも使徒たちにふれることができれば癒やされるのではないかという、いわば迷信的な人たちまで出るようになりました。特に癒やしの噂を聞いて、近隣の町の人たちがやって来たというのは、今も昔も変わりありません。

今日におけるキリスト教会がしている癒やしは、かつてのような奇跡的なものではなく、きちんとした医療行為であり、弱い人たちと共にいることによる癒やしです。イエスキリストの福音こそが、人の魂を生かし、神様のとの交わりを回復させる力となり、教会の交わりによって病んでいる人が回復していくのです。

かつて捕らえられたペテロとヨハネは、イエスと共に生涯を送った弟子たちでした(4:13)。教会の頭はイエスキリストであり、この方が共にいてくださり、私たちに平安と生きる力を与えてくださっているのです。これが教会の交わりの中心です。

コロサイ1:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。

マタイ18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

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