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2011年8月21日 (日)

常にみことばを語るとは

2011.8.21(葉月) 武里 

みことばを語る 使徒4:2337

私たちがあることのために一つとされるとき、大きな力を発揮できることは、経験的にも知っていることです。しかしながら、何のために一つとなっているか、何に向かっているのかということは、良く吟味されなくてはいけません。時に人は神様に逆らうために一つとなることがあるのです(26b)

エルサレムに生まれた教会は、みことばを語る群れでした(29)。何度も監獄に捕らえられたパウロも、苦しみの中で祈りの要請をしましたが、それはみことばを語ることでした(ピリピ1:20)。みことばを語る、宣教こそが教会の使命であり、ミッションなのです。

それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。

それは実際にはどのようなことでしょうか。

みことばを語るとは、一人一人のキリスト者が、自分の救いの物語を語ることです。人の救いこそ、全てに勝る「しるしと不思議なわざ」でしょう。ポストモダンの時代にあって、あなたがご自分の救いの物語を用意することが、証しの第一歩となるのです(1ペテロ3:15)

むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。

みことばを語るとは、造り主である神を賛美することです。神様は、天と地と海とその中にある全てのものを造られた創造主です。その方が人として来られ、私たちに救いのみわざを成し遂げくださいました。しかし、この世の人たちはそのことを知らず、また受け入れず、かえって神様に反抗してキリストを十字架につけて殺してしまったのです(25-28)。どのような中でも、造り主を覚え、この方に目を向けて賛美することは、私たちを再び立たせる力となります。

みことばを語るとは、交わりにおいて神様の栄光を表すことです。それは互いに助け合う交わりであり、心を一つにして祈る交わりです。これは教会が誕生する前から見られた、弟子たちの営みでした(使徒1:14)。確かに、キリスト者が二人、三人と集うところに、主はいてくださいます。互いに尊敬し信じ合うことができなければ、一つになって祈ることは難しいのではないでしょうか。共に集って祈ることを大切にする教会の交わりを、さらに深めていきたいものです。

キャンプ場には、野のユリがたくさん咲いていました。地を耕し、福音の種をまき、そして救いのみが結ばれることを語りかけているようでした。

Yuri

2テモテ4:

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

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