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2011年8月28日 (日)

人に従うより、神に従うべきです

2011.8.28(葉月) NO.334

神から出たものか 使徒5:25-32

だれでも、身体にあるキズや弱さは隠したいものです。けれども、そのようなことの中に、神のみわざを見ることがあるのです。

キリスト教会の使命は、福音を宣べ伝える伝えることです。今年の敗戦記念礼拝においても、平和の福音を宣べ伝えることがキリスト者の使命であることを私たちの平和表明として署名致しました。

使徒の働きには、この福音を宣べ伝えることによって迫害を受けた記事が記されています。3章には、神殿に寝かされていた足の不自由な男の人を癒やしたことがきっかけとなって、ペテロとヨハネが留置されるという出来事が記されており、最初の迫害と言える事件でした。それからしばらくの時が経て、また使徒たちが捕らえられました。それは「妬み」から出たことでした(5:17)。いつの時代にも、このような心の中の秘められたことは、破壊をもたらします。ところが、獄舎に捕らえられた使徒たちは、超自然的な仕方でそこから出ることができ(5:19)、みことばを宣べ伝え続けたのです。あくまでも、自らの使命を全うしようとしていました。

彼らは再び捕らえられたのですが、ペテロは他の使徒たちと共に議会ではっきりと語りました。

「人に従うより、神に従うべきです」と。これは以前、足の不自由な男の癒やしに関連して捕らえられたときと、同じ態度でした(4:19)。この従うという言葉は、上に立つ権威に服従するという意味があります。当時、議会が決めたこと、祭司たちが言う言葉は、神の言葉と同じような意味合いがあり、それに従うことは神に従うことを意味しました。このような状況の中で、議会や再市長たちの決定を人の決めたこととし、自分たちのしていることこそ神に従うことであるということは、たいへんなことでした。この信仰の告白の故に迫害を受け、命を取られた人たちは、2000年の歴史の中で実に多くいたのです。私たちの国においても、それは同様です。人に従うのではなく、神に従うということは、全てのキリスト者の生活原理なのです。

使徒たちがこのような困難な事態に直面したとき、ガマリエルという人が立ち上がり、慎重に事を運ぶよう提言しました。議員たちに向かって、神から出たものか、人から出たものか良く吟味するようにと、言ったのです。すなわち、使徒たちのしていることが神のみこころにかなうものであれば、それを否定する議会の人たちこそが、神に逆らう者となってしまうことを警告したのです。彼らを釈放し、しばらく様子を見るようにという提案をしたのでした。

ペテロたちは、鞭を打たれて釈放されました。執り成しがあったとはいえ、キズを負ったのです。しかしそのキズは、イエスのためのものであり、彼らのしたことは神から出たことであるという、しるしでもあったのです。

これからは、だれも私を煩わさないようにしてください。私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから。 ガラテヤ6:1

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