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2011年9月25日 (日)

聖橋は復活に導く

2011.9.25(長月) 中央

私たちの望み ローマ81825

91日は防災の日。1923(大正12)91日に発生し、10万人を超える死者、行方不明者が出た関東大震災を歴史の教訓として記念した日です。今年の311日には、巨大地震と津波の発生、それに伴う原発事故が起こり、懸命の復旧、復興が今もなされています。また台風による大きな水害が、四国、近畿地方を襲いました。日本中が自然災害の中にあるような状況です。

今朝の開かれているみ言葉には、苦しみが記されています。

1は、被造物の苦しみです(1922)。神様の造られた世界、自然界は、もともと良いものでした。神様の造られた秩序が保たれていたのです。今回の震災で、美しい故郷が壊れてしまったという経験を多くの方がされたことでしょう。しかし人手が入ることによって自然破壊(環境破壊)がおこり、汚染された食べ物が出回り、人間だけでなく地球上の生命の生活が脅かされています。自然災害は、人間にとってはたいへんな苦しみをもたらしますが、そのような中には人間が引き起こしたものであるといわざるを得ないことがあります。自然界は、神の造られた秩序ある世界に回復することを願っているのです。

2は、私たち人間の苦しみです(23)。これは自然災害による苦しみだけではありません。円高などによる経済的な苦しみ、働くことのできる知力や気力があっても、その働く場所が無い、等社会的な苦しみがあります。また一人の人間として、肉体だけで無く、その心に痛みや苦しみを持っている人たちも大勢あります。

このような苦しみの原因の根本は、私たちの中にある「罪」であるといいます(ローマ7:17)。神から離れ、自己中心になっている私たちの姿です。

ですからそれを行っているのは私では無く,私のうちに住み着いている罪なのです。

しかしこのような苦しみは、取るに足りないというのです(18)。そんなことを簡単に言っていいのか、と思いますが、ここには理由があるのです。苦しんでいる被造物、この自然界は、やがて回復されるのです(21)。永遠の都が神様によってもたらされるのです(黙示21:1)

また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り,もはや海も無い。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て,天からくだってくるのを見た。

その中にいる私たち人間も、あがなわれるのです(23)。それは、この御霊の深いうめきによる執り成しによるのです。ここに私たちの希望があります。「あがない」とは、奴隷であった人が自由人として買い取られることを意味します。このあがないこそ、他の教えや宗教にはない、聖書の語るユニークなメッセージであり、イエスキリストの十字架は、あがないのみわざを示す歴史の出来事だったのです。このあがないは、私たちを永遠の都とである天国志向の生き方へと,私たちを造り変えてくれるのです。御茶ノ水駅から見える聖橋は、湯島聖堂とニコライ堂を結ぶ橋です。ニコライ堂は、東京復活大聖堂というのが、正式な名称です。イエス様は私たちを復活へと導く橋として来てくださったとも言えるお方でしょう。

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。ピリピ320

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