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2011年10月23日 (日)

死も祈りも神の賜物

2011.10.23(神無月) NO.340

ステパノの祈り、イエスの祈り

 

使徒7:54-60

 議会に引き出されたステパノは、大祭司の問いかけに対して弁明をしました。彼の弁明は、ユダヤ人ならば誰でも知っている先祖の物語を引き合いに出して、神殿と律法に関する訴えについて反論するものでした。

第一の神殿に関しての弁明は、2節から48節です。神様のスケールの大きさを語り、神殿を最初に建てたソロモン王でさえ、神は人の手で作った神殿などにお住みになるようの方では無いと言っています(48)。アブラハムは、目に見えない神様に従って父の家を出たのであり(4)、モーセも苦難の中で神様に従い、神殿の無い時代でしたがまさに彼が律法を受け取ったところが聖なる場所だったのです(33)。アブラハムの旅立ちを見るとき、かつて芭蕉がそぞろ神や道祖神の招きによって旅に出たとしかいいよう無い心境を書いた「奥の細道」の序文を思い起こすのです。イエスキリストが復活されたことにより、イエスを信じる者こそが、聖霊を宿す神殿なのです(1コリント6:19)

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

第二の律法遵守に関しては、すでに語ってきた中にも示されていますが、51-53節で明確に語っています。律法に逆らっているのは、私たちではなくあなた方ユダヤ人である、という主張です。彼らの先祖は、ヨセフを妬んでエジプトに売り飛ばし、モーセに逆らい、預言者たちを迫害したからです。律法を守らないことこそが、罪の本質なのです(1ヨハネ3:4)

罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。

之を聞いて、ステパノを訴えた人たちはかえって逆上し、ついに議会から引きずり出して石打にしてしまいました。しかしこのときのステパノの最後の言葉と祈りは、主イエスの十字架の言葉と同じでした(ルカ23:3446)。ユダヤ人の罪を厳しく責めたステパノでしたが、彼らをあわれみ、神様への執り成しを祈っているのです。まことに彼は、神様の愛に生かされ、人のためにつくす神様のしもべでした。

かつて日本でも、キリスト教徒が厳しく迫害された時代がありました。そのような中で命を落とした人たちは、同じ思いを持っていたでしょう。ステパノの祈りは、主イエスさまから来ているものであり、私たちもこのような祈りを受け継ぐものとされているのです。それは自分の思いや力ではできないことです。弱い私たちであっても、主イエスに捕らえられているので、このような人生最後の祈りも、神から賜るものなのです。

ピリピ3:12 私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。

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