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2011年10月16日 (日)

最初の殉教者 ステパノに学ぶ

2011.10.16(神無月) NO.339

恵みに生かされる 使徒6:8-15

 いつも同じような光景だけに、気づかないことがあります。不思議なことですが、本当には見ていなかった、ということがあります。たとえば、いつも集っている教会に掛けられている絵が変わっていることに気がつきましたか?

やもめたちへの配給担当者として選ばれた七人の一人は、ステパノという人でした。彼は聖霊と信仰と知恵に満ちた評判の良い人であっただけでは無く、「恵みと力」に満ちていました(8)。それ故、ステパノは数々の不思議やしるしを行い、みことばを語ることもあったでしょう。

しかしこのステパノはユダヤ人に捕らえられ、議会に引き出され、ついには石で撃ち殺されてしまうのです。初代教会最初の殉教者と言われています。彼の語っていることがユダヤ人の反感を買ったわけですが、使徒7章にあるステパノの弁明(説教)を見ても、それだけで彼が石で撃ち殺されるほどのひどいことを語ったとは思えません。しかしステパノの語ったことの中心は、「救い主として待ち望んでいた方が到来したにもかかわらず、その方を殺し、その罪を悔い改めないことが神に逆らうことである!その方とは、イエスなのである。」ということでした。救い主、メシヤはまだ到来していないと考えていたユダヤ人とどうしても折り合わないところでした。

ステパノは、恵みに満ちていたとあります。モーセの授かった律法は、確かに神様からのものですが、イエスキリストはその律法を成就するために来られたのです(マタイ5:17)

わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。

そして人が生かされるのは律法を守ることでは無く、神様の恵みの中にあること、イエスキリストが私たちを罪から解放し新しい人として生かしてくださることであると、告げたのです。イエス様こそが、恵みに満ちている方だったからです(ヨハネ1:14-17)

この方は恵みとまことに満ちておられた。

ステパノを訴えた人の中には、リベルテンの会堂に属する人たちがいました。この人たちは、奴隷であったのが皇帝によって解放されて、自由人となったユダヤ人の子孫だと言われています。奴隷の状態から解放されることは、幸いなことです。しかし彼らは、罪から解放され、イエスキリストを信じることによって神の子どもとされることに思い当たりませんでした。

イエス様によって人は罪の奴隷から解き放たれ、真の自由の中に入れられるのです。それこそが、神様の恵みに生かされることに他なりません。ステパノを殺害することに賛成していたパウロは、後に捕らえられ、牢獄の中で言っている言葉に、耳を傾けてみたいものです。

2テモテ2:1

そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。

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