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2011年11月27日 (日)

現代人の最も苦手なこと~静まって待つこと

2011.11.27(霜月) NO.343

待つことの力  イザヤ40:27-31

 今週から教会の暦ではアドベント、待降節に入ります。主イエスキリストのご降誕を待ち望む期間であり、アドベントカレンダーをめくりながら、クリスマスを待つ、日本風にいえばお正月を待つ気分に近いものがあると思います。

イザヤ40:31は、よく知られたみ言葉の一つでしょう。バビロン捕囚の苦しみから解放される日を願い、その日を待ち望でいたユダヤ人の歴史のただ中で語られたみ言葉です。2730には、人生の無常と、どんなに力あるものもいつか果てることの嘆きが歌われています。しかしそのような中でも、神は創造者であり人知を越えた英知を持っている方であり(28)、疲れたものを再び鷲のように高く舞い上がらせてくださると、歌っています(2931)。特に31節の「新しい」ということばは、古いものと取り替えるという意味があり、文字通り全く新しくされる、リニューアルされるというイメージです。入学式に、真新しい制服に身を包むと今までとは違う自分になり、これからがんばれる気持ちになるというような感覚です。

この新しく力を得る秘訣は「主を待ち望む」ことです。かつて臨終の床で息子たちを祝福したヤコブは、息を継いで主を待ち望みました(創世記49:18)

主よ。私はあなたの救いを待ち望む。

主イエスのご降誕を巡って登場する人たちは皆、「待ち望んでいる人」たちでした。

神殿で祭司として仕えていたザカリヤは、イスラエルの救いを待望していました。かつては妻のエリサベツと共に我が子の与えられることを望んでいましたが、それが叶わぬ事とあきらめていたところに、男の子、それも主の道備えをする子どもが生まれると告げられました。その子の誕生の時まで、二人は身をもって待ち望むことの力を体験したのです(ルカ1)

幼子イエスは、八日目に割礼を施すため、神殿に連れて行かれました。そこにはシメオンという救い主の現れを熱心に待ち望んでいる人(老人と思われている)がいて、幼子イエスを祝福しました。イエスに会ったシメオンは、もう之で思い残すことない、という心境になったのです(ルカ2:29)。そこには女預言者アンナもおりました。彼女は結婚して七年で夫を亡くしやもめとなった老女でしたが、すく主に会うことができたのです。

そして、ヨセフとマリヤも主を待ち望む人たちでした。他のユダヤ人と同様、救い主を待ち望んでいたのでしょうが、その父となること、母となることは、当時の事情からみて、あり得ないことであり、その身に苦難をもたらすことを意味しました。処女懐胎など信じる人は、周りに誰もいなかったからです。しかし彼らは主のみことばを受け入れ、主の救いを待ち望むことが、彼らを支える力となったのでした。

祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。テトス2:13

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