フォト
無料ブログはココログ

« オルガン演奏JSバッハ | トップページ | 負けても、勝ちがある »

2011年12月18日 (日)

救い主のしるしは?

2011.12.18(師走) NO.346

飼い葉おけの救い主  ルカ2:17

 待降節の第4週目の日曜日です。暦の関係で、すでに4本のろうそく全てに灯がともりました。まるで今日がクリスマス、救い主の誕生を祝う日のようです。

救い主であるイエスキリストは、どこに生まれたのでしょうか?わたしたちはそのできごとを聖書を通して知っていますが、イエスさまがお生まれになった時代の人は、何を目印にしてそのことを知ったのでしょうか?

野宿で羊のバンをしていた羊飼いに、天の使いが現れました。そして言われた言葉にそのヒントがあります。「あなたがたは布にくるまって飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなた方のためのしるしです。」(ルカ2:12)。家畜小屋の飼い葉おけが、救い主のいるところを表すしるしであるというのです。ヨセフとマリヤは、そのようなことを知らずに、家畜小屋にある飼い葉おけに生まれたばかりのイエスを寝かせました。しかしそれは、宿屋には彼らのいる場所がなかったからでした。二人にとっては、仕方なく寝かせた場所だったのです。

ところが、その飼い葉おけが「しるし」となっている、之はどういうことでしょうか?実は、飼い葉おけこそが、私たちの救い主をお迎えするところを表す象徴となっているのです。飼い葉おけは、言うまでもなく、家畜のえさ箱です。馬の飼い葉おけは、丸くて大きな木製のバケツような形をしています。イスラエルで見た飼い葉おけは、大きな石を四角にくりぬいて作ったものでした。家畜のえさ箱ですから、そんなにきれいなものではありません。普通は、人間の赤ちゃんなどを寝かせることは、衛生上からもしないでしょう。しかしそこに、救いの御子が寝かされていたのです。羊飼いたちは、天使のお告げ通りだったことを見ると、神をあがめ、賛美して帰って行ったのです(20)。救い主に会うことは、たとい苦しみの中にあっても神を賛美する人生へと導くのです。

之は、私たちの心のあり方を表しています。確かに、私たちは良いことを考えまた実行します。しかし人を汚し滅ぼすものは、人の中から出てくる邪悪な思いであり、その罪のリスがあげられています(マルコ7:21-23)。また、造り主である神がいないとすることも、愚かなことであると聖書は記しています(詩篇14:1)

マルコ7:21-23 また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」

詩篇14:1 愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。

このように思う心にイエスキリストがおられるとき、汚れは赦されて清くされ、神を賛美する人生へと変えられるのです。

9歳の時に高熱が原因で脳性マヒとなって体の自由を奪われた水野源三さんは、10代の時に救い主を受け入れ、そんなお体の中でも美しい詩を作られました。47年の短い生涯でしたが、神を賛美する人生を送られたのです。

救いの御子の降誕を

一度も高らかに

クリスマスを喜ぶ賛美歌を歌ったことがない

一度も声を出して

クリスマスを祝うあいさつをしたことがない

一度もカードに

メリークリスマスと書いたことがない

だけどだけど

雪と風がたたく部屋で

心の中で歌い

自分自身にあいさつをし

まぶたのうらに書き

救いの御子の降誕を

御神に感謝し喜び祝う

見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。黙示3:20

« オルガン演奏JSバッハ | トップページ | 負けても、勝ちがある »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 救い主のしるしは?:

« オルガン演奏JSバッハ | トップページ | 負けても、勝ちがある »