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2011年12月11日 (日)

何のために生まれたか?

2011.12.11(師走) NO.345

仕えるために生まれた方  マルコ1:2339

 今年の新語、流行語大勝のベストテンには入りませんでしたが「自分のできることをやる」ということばも、良く聞かれたように思います。今年の大震災で被災された人たちのことを思ってのことばです。なにかすることより、あり方の方が大事であるとは良くいわれます。しかし実際の所、何かしらの行いがともなうことだと思います。

マルコの福音書には、イエスの誕生物語は書かれていません。バプテスマの活動から始まり、イエスの受洗、そして荒野での試みのあと弟子を召して、福音を宣べ伝える伝えるイエスの活動が描かれています。1章には「すぐに」ということばが6回使われています。マルコの福音書は一番短い福音書でありながら、活動するイエスの姿が活き活きと描かれているのです。

カペナウムの会堂において福音を語ったイエスさまの評判は、ガリラヤ全土に広まっていきました。イエスの元には、話を聞きたいという人だけでなく、病人や悪霊に憑かれた人など、多くの人たちがやって来たのです。その人たちの求めに答え、みことばを語り、癒やしのわざをなさいました。

そんなある日、イエスはさみしいところで一人祈っておられました。どんなに多忙であっても、神様との交わりは欠かさなかったのです。Beingを大切にされる、イエスの姿があります。私などは、何かをして疲れてしまうとつい休んでしまって、神様との交わりが絶えてしまいます。強くされたいところです。

人々は、朝早くからイエスを捜していました。イエス様に会いたい、という思いを強く持っていたからでしょう。弟子たちがそのことを告げると、「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」と言われました。イエスを追ってくる人々を置いて、そこを去って行かれたのです。それは、ご自身の使命、ミッションをしっかり知っておられたからです。自分がこの世に生まれたのは、人々の熱心に答えるのではなく、父なる神様の召しに答えること、神様のみこころを行うためであると言うことを、しっかりわきまえていたのです。旧約聖書の預言者エレミヤも同じ確信を持っていました(エレミヤ1:5)

「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」

イエスさまにとって、それは福音を宣べ伝える事であり、人々に救いをもたらすことでした。

神様は、私たち一人一人を、この世の始まる前から選び、あなたでなくてはできない働きを委ねておられるのです。イエスにとってそれは、人々に仕えることであり、その生涯の初めがクリスマスなのです。

マルコ10:45

人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

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