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2012年1月20日 (金)

92歳になる前に

昨年11月から入院し、年末から年始にかけて重篤になっていた父が、16日の朝息を引き取りました。次の週23日が、92歳の誕生日でした。弟の嫁さん、孫、そしてその娘であるひ孫(一歳)が、看取ってくれました。

葬儀は、65歳の時、すでに天にある妻であり私の母である貞子と共に洗礼を授けていただいた、高田聖書教会の牧師、塚田泰司先生の司式で静かに執り行われました。ご近所や教会の方、親族、そして昔の教え子や同僚の先生方が参列してくださり、思い出の話しを聞かせてくださいました。

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特に、父が最初に赴任したのが新潟県柿崎町の下黒川中学校でしたので、ロビーの故人思い出コーナーには、その当時の写真を置きました。校庭を挟んで、111段の石の階段を上ると小学校、坂道を上ると中学校で、村全体で熱心に子ども達を教え、運動会は村中総出で行ったということです。

葬儀や斎場での動きの中で、こちらとはずいぶん違う点もありましたが、神様が父を豊に導いてくださったことを知ることができ、感謝でした。お骨を持つように言われて、骨箱(当地では骨壺には入れない)を持たされたとき、思わず抱きしめたい思いに駆られたのは、どうしてでしょうか?不思議な感情でした。

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長い間両親に仕え、最後まで一緒にいてくれた弟家族に心から感謝しています。しばらくゆっくり休み、自分たちの生活を送ってくれることを願っています。葬儀の日は天候が守られ、妙高と南葉の山々がはっきりと見えました。

父の証し→「testimony.jpg」をダウンロード

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故 山田敏雄 略歴

1920(大正9) 新潟県新発田町(現新発田市)に、山田達雄、喜興の長男として生まれる

1943(昭和18) 3月東京高等工学院高等工業部電気科(現東工大附属高校)を卒業し、4月横河電機に入社。計器類の設計、製造をしていたと聞いている。

1945(昭和20) 高田市(現上越市)大町に引っ越し、会社勤務。

1948(昭和24) 下黒川中学校(現柿崎中学校)の助教諭となる。

19549(昭和25)同校教諭となり、数年掛けて教員の免許状を取得。同年に蜂箇貞子と結婚し、長男豊、次男堅が生まれる。以後、黒川中学校(廃校)、大瀁中学校(現頸城中学校)、板倉中学校、直江津中学校を歴任。1972(昭和47)この頃より、教会に通い、リー宣教師の訪問を受ける。

1976(昭和51)直江津中学校を退職。その後、妻の生け花教室と共に書道教室を開く。

1985(昭和60)825日、直江津海岸にて、塚田泰司牧師(高田聖書教会)より、貞子と共にキリスト教の洗礼を受ける。

2009(平成21)321日 妻貞子召天(享年87)

2011(平成23)10月 地域医療センター入院 

2012年(平成24)1月16日午前8:48 召天 享年91歳

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