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2012年1月

2012年1月30日 (月)

寒すぎる!

大寒波の襲来です。私の田舎は、大雪です。

それにしても、先週の雪がとけないばかりか、池まで凍ってしまい、この通りです。

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2012年1月29日 (日)

主を求めること

 

2012.129(睦月) NO.351

イエスのもとに行く  使徒8:26-40

 「人生は旅、私たちは旅人」と言われます。新しい船出にたとえれば、人生航路と言うことができるでしょう。どこに着く旅であり航路でしょうか。

なにやら先週の説教題と似たようなものになりましたが、ピリポに導かれてバプテスマを受けた宦官に焦点を当てて、みことばに聞いてまいりましょう。

み使いと聖霊に促されたピリポは、エルサレムからカザに下る道で、ひとりの人物と出会います。彼はエチオピアの女王に使える高官で、エルサレムに礼拝のために上り、その帰り道にありました。彼は「宦官」であったと書かれています。旧約聖書によれば神殿の中に入れなかったことでしょう(申命記23:1)。しかし、「門の外の改宗者」として、異邦人の庭で礼拝に集うことができたと思われます(イザヤ56:1-3)

宦官も言ってはならない。「ああ、私は枯れ木だ。」と。

エチオピアやエジプトは、多神教の国です。そのようなところから、エルサレムに礼拝のために上り、しかも聖書の断片を入手して声に出して読んでいたところから、彼が熱心に真の神を求めていた人であると推察できます。そのままでは入ることができない神殿にまで行ったと言うことですから、彼の求道の思いは熱心であったと思われるのです。

かつて、ユダヤ人から異邦人と嫌われていたツロ・フェニキアの女性は、何とかしてイエス様のことばをいただきたいと願いました。自分を食卓から落ちるパンを拾う犬にたとえてまで、主のことばを求めたのです。イエス様はそんな彼女の思いを知って、その信仰をほめたのでした(マタイ15:2627)

しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」

彼の開いている預言の書が語っているのはイエスであることがわかり、バプテスマを受けたとき、ピリポは聖霊によって取り去られ、彼の目から見えなくなりました。かつて、イエス様の死を知った二人の弟子は、気落ちしてエルサレムからエマオへの道を歩いていました。そこに主が現れ、みことばを語ったのです。二人がその人がイエスだとわかったとき、イエス様は見えなくなりました(ルカ24:13-35)。この宦官と同じような体験でした。

私たちも、ある人を失うと、その人のことがさらにわかるという経験をします。そして今度会うときは、はっきりとわかりたいと思うのです。聖書は、やがての日、主イエス様と私たちの愛する者とを、はっきりとわかる日がやってくると約束しているのです。ここに私たちの信仰、希望、愛があるのです。

1コリント13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

2012年1月28日 (土)

天国のじいちゃんにささげる

甥っ子の山田健太郎が、1月20日に、ボクシング12月の新鋭賞をいただきました。後楽園ホールで、試合の合間に授賞式がありました。じいちゃんの葬儀を終えて、どんな気持ちでリングに立ったのでしょうか。

健太郎のじいちゃんである自分の父は、彼がボクサーになるといったとき、たいへん心配していました。ちょっとした偏見があったのかもしれませんね。しかし、男が之と決めた道を進んでいくのを見て、いつも応援してくれていたのは、そのじいちゃんだったのです。

画像は、昨年12月のセミファイナルで勝利したときのものです。後方には、しっかりとそのじいちゃんが書いてくれた横断幕がかかっています。きっと孫の活躍を喜んでくれていることしょう。そしてこれからは、天国から「ファイト、健太郎!」とエールを送ってくれることでしょう。

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健太郎は、スーパーフェザー級6位にランキングされました。これからが、厳しい戦いになります。応援、よろしくお願いします!なお、「ボクシング」「ボクシングビート」の各誌2月号に、インタビュー記事が載っております。

2012年1月22日 (日)

現在の塩の道は、キリストの道

2012.122(睦月) NO.350

キリストの道を行く  ヨハネ14:1-7

 先週月曜日、116日の朝、私の父山田敏雄が召されました(享年91)。本日の説教は、父の死と葬儀を終えた中でのものなので、どうしても父のことと重なり合ってしまうお話になってしまうことを、ご容赦いただきたいと思います。

ヨハネ14のみ言葉は、イエスがご自分の死をはっきりと意識されたときに弟子たちに語られたものです。確かに私たちは、トマスがイエス様に問うたように、自分自身がどこに行くのかわからないようなものです。その問いに答えたのが6節のみ言葉です。「わたしが道であり、真理であり、命なのです。わたしを通してでなければだれひとり父のみもとに来ることはありません。」

この道は単に天国に続いていると言うことだけではなく、キリストが歩まれたように歩むという私たちの地上の生涯を示しいることばです。

キリストの道は、弱い者と一緒に歩む道、弱さのある人により添う道です。父は、幼少の時から右足が悪く、びっこを引いておりました。中学校の教師として遠足や登山、そして化石の発掘などに生徒たちと一緒に出かけたことでしょう。父に合わせてそのグループはゆっくりとした歩みであったかもしれません。あるいは、父が弱い子どもと一緒に歩いたのかもしれません。父の兄弟や教え子からは、父がいろいろな意味で弱さのある人のために尽くしたことを伺いました。イエス自身が、悲しみで人で病を知っていた(イザヤ53:3)ので、弱い人により添うことができたのです。

キリストの道は、神様のことばを指針とする道です。マタイ4:4は、有名なみ言葉です。悪魔の誘惑に打ち勝った、イエス様のことばです。

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」

このみ言葉の背景は、イスラエルを脱出した民が、40年間荒野でさまよったという苦難の経験です。神は彼らを、わき水やうずら、そして「マナ」とよばれた食べ物で養ったのですが、それらは神の言葉こそが人を生かすものであることを教えるためでした(申命記8:3)。教会の文集作成を任された父は、1986年のチェルノブイリ原発事故にふれ、人のことばではなく神様のことばに聞くことの大切さを、昨年の原発事故の25年も前にすでに書いていたのでした(ぶどうの木第1号、19866月、高田聖書教会発行)。今日に通じるものがあると思います。

キリストの道は、人を生かす道です。日本列島には、海岸で作られた塩や物資を内陸に運ぶ「塩の道」が無数にあったということです。その中でも有名なのが、「塩の道、三国街道」でしょう。現在の糸魚川市と長野県の松本市を結ぶ約120キロメートルの道です。越後の上杉謙信が、南の塩の道を絶たれた甲斐の武田信玄に塩を送ったと言われる道です。この塩の道は、当時の人たちの生活を支え、情報の通路としても必要だったのです。私たちの歩みが、自分だけでなく、他の人をも生かすものでありたいと願います。

1ヨハネ2:6 神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。

2012年1月20日 (金)

92歳になる前に

昨年11月から入院し、年末から年始にかけて重篤になっていた父が、16日の朝息を引き取りました。次の週23日が、92歳の誕生日でした。弟の嫁さん、孫、そしてその娘であるひ孫(一歳)が、看取ってくれました。

葬儀は、65歳の時、すでに天にある妻であり私の母である貞子と共に洗礼を授けていただいた、高田聖書教会の牧師、塚田泰司先生の司式で静かに執り行われました。ご近所や教会の方、親族、そして昔の教え子や同僚の先生方が参列してくださり、思い出の話しを聞かせてくださいました。

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特に、父が最初に赴任したのが新潟県柿崎町の下黒川中学校でしたので、ロビーの故人思い出コーナーには、その当時の写真を置きました。校庭を挟んで、111段の石の階段を上ると小学校、坂道を上ると中学校で、村全体で熱心に子ども達を教え、運動会は村中総出で行ったということです。

葬儀や斎場での動きの中で、こちらとはずいぶん違う点もありましたが、神様が父を豊に導いてくださったことを知ることができ、感謝でした。お骨を持つように言われて、骨箱(当地では骨壺には入れない)を持たされたとき、思わず抱きしめたい思いに駆られたのは、どうしてでしょうか?不思議な感情でした。

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長い間両親に仕え、最後まで一緒にいてくれた弟家族に心から感謝しています。しばらくゆっくり休み、自分たちの生活を送ってくれることを願っています。葬儀の日は天候が守られ、妙高と南葉の山々がはっきりと見えました。

父の証し→「testimony.jpg」をダウンロード

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故 山田敏雄 略歴

1920(大正9) 新潟県新発田町(現新発田市)に、山田達雄、喜興の長男として生まれる

1943(昭和18) 3月東京高等工学院高等工業部電気科(現東工大附属高校)を卒業し、4月横河電機に入社。計器類の設計、製造をしていたと聞いている。

1945(昭和20) 高田市(現上越市)大町に引っ越し、会社勤務。

1948(昭和24) 下黒川中学校(現柿崎中学校)の助教諭となる。

19549(昭和25)同校教諭となり、数年掛けて教員の免許状を取得。同年に蜂箇貞子と結婚し、長男豊、次男堅が生まれる。以後、黒川中学校(廃校)、大瀁中学校(現頸城中学校)、板倉中学校、直江津中学校を歴任。1972(昭和47)この頃より、教会に通い、リー宣教師の訪問を受ける。

1976(昭和51)直江津中学校を退職。その後、妻の生け花教室と共に書道教室を開く。

1985(昭和60)825日、直江津海岸にて、塚田泰司牧師(高田聖書教会)より、貞子と共にキリスト教の洗礼を受ける。

2009(平成21)321日 妻貞子召天(享年87)

2011(平成23)10月 地域医療センター入院 

2012年(平成24)1月16日午前8:48 召天 享年91歳

2012年1月15日 (日)

深みへ

2012.115(睦月) NO.349

福音の深まり  使徒8:1424

 使徒の働きは、福音が当時の全世界に広まった様子を描いています。そればかりではなく、福音がどのように人々に受容されていったか、いわば福音の深まりをも描いていると思います。

サマリヤの人々が福音を受け入れたと聞いたエルサレム教会は、ペテロとヨハネを遣わしました。「天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」(ルカ9:54)とかつてヨハネが言った人たちが、イエスさまを信じたのです。福音が、民族を越えて広まっていったことであり、使徒1:8にある約束の成就でした。

サマリヤに着いた二人は、人々が聖霊を受けるように祈りました。このとき彼らにまだ聖霊が注がれていなかったのは、彼らの回心がエルサレム教会によって認知される猶予が必要であった為であったかもしれません。聖書を読むと、イエスを信じた時や、水のバプテスマの時、聖霊を受ける時期は、一様ではありませんでした。大切なのは、イエスキリストを信じたときに聖霊のバプテスマを受け、信者は聖霊の宮とされるということです(1コリント6:19)

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

聖霊を受ける、聖霊に満たされるということは、内的な事実です。それは目に見えませんが、このときは、異言がそのしるしとして与えられたのだと思います。彼はこのような権威を、お金によって手に入れようとしました。しかし神の賜物は、お金で手に入れられるような物ではないのです。また彼は、その権威によって自分が何か優れた者であるかのように振る舞おうとしました。それゆえ、ペテロは「おまえのような者は、地獄行きだ!」と責めたのでした(23)。シモンには、まだ福音を深く受け止めることができず、表面的なしるししか見えなかったのです。

かつては教会の迫害者であったパウロは、ダマスコ途上で回心します。バルナバの執り成しによって教会に加えられ、そして様々な経験や迫害を通して、福音をより深く受け止めるようになりました(ピリピ3:5-9)。キリストにある成人を目指していたパウロがたどり着いたのは、古い自分は死んで、イエスキリストによって生かされると言うことでした。之こそが、福音の深みです。私たちもこの深みにこぎ出していきたいものです。

ガラテヤ2:20 

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

2012年1月 8日 (日)

新しい年も福音の広まりを願う

2012.18(睦月) NO.348

福音の広まり  使徒8:1-13

 昨年は、特別に大きな悲しみのあった年であったと感じている人は、おおぜいおられると思います。新しい年は、良い年であるようにと願う人たちも、その分多くあることでしょう。今年の干支「龍」にちなんで、2012年は上り調子であるようにという言葉も、良く聞かれるこの頃です。

ステパノの殉教から、教会全体への迫害が始まりました(1)。その一人にサウロという名前が出ていますが、のちのパウロの物語の伏線となっています(3)。キリスト教会が、その歴史上初めて経験する受難であると言えるでしょう。この2000年の歴史において、キリスト教会が迫害された時代がありました。しかしながら、キリスト教が国教化されると、逆の事態が生じたり、教会が堕落すると言うことがおきました。今日では、共産圏やイスラムの強い国では公にキリスト信仰を表したり伝道することが禁じられているところがあります。いつの時代にも、信仰に関わる苦難がありました。

日本においては、キリスト教の禁止(バテレン追放令など)は豊臣秀吉に始まり、徳川家康、秀忠、家光と続く徳川家3代の将軍によって、確固たるものとなりました。寺請制度や宗門人別帳は、キリシタン(キリスト教徒)を取り締まるための国家的な方策でした。そしておよそ300年の間、日本は鎖国政策を敷き、ごくわずかな外国の人との交流を持たない時代に入りました。明治6(1873)にキリシタン禁制の高札はようやく取り払われるのですが、この長い歴史の中で、日本人の中に理屈抜きに「キリスト教はダメ」という考えがしっかりと根を下ろしたように感じます。

エルサレム教会への迫害によって散らされた人々は、その散らされたところでみことばを宣べ伝えました(4)。その一人がピリポであり、彼の働きはのちに大きな実を結びます(2640)。散らされた人々は、みことばを宣べ伝える伝えただけではなく、悪霊を追い出したり、病を癒やしたりということを、み言葉にともなうしるしとして行いました。今日ふうに言えば、キリスト者の生活をもって、みことばを確かなものとする、ということでしょう。教会にとっては、ことばによる宣教だけでなく、地域社会において様々な弱さを持っている人を助け援助していくという働きを合わせて行うということです。

このような事で、シモンという魔術師が回心し、バプテスマを受けました(913)。福音が地域的な広がりだけでなく、いろいろな人たちに影響を与え広がっていったことを表しています。

私たちは「新しい船出」という説教を元旦において聞きました。船の旅は、いつも順風満帆とは限りません。福音が広められていくことは、むしろ困難の中でこそ、散らされた人によってもたらされることを、心に留めたいと思います。

ヨハネ16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

2012年1月 3日 (火)

新しい船出 新年茶会を終えて

丘の上にて、正月三が日の新年茶会が開かれました。今年の元旦礼拝の説教題「新しい船出」に沿うように、小間には高山右近、日本決別の書状が掛けられていました。

秀吉によるバテレン追放令が出された翌年、右近の家族は金沢から北陸路を経て、マニラへと向かいました。細川忠興あての書簡であるが、お礼と共に之までの60年の生涯を、あなたはどう思うかと問うており、その問いはまさに現代の私たちへの問いともなっています。右近は、自分の命は南の海にはてるであろうが、その生涯に悔いの無いことを証ししています。まことに、潔いことばとなっています。

茶室の坪庭には、小さな池があります。その中央に、舟石があります。川を上り、そして滝をも上って復活の庭へと続くように、置かれているのです。新しい年、お一人びとりの船出は、どこを目指して進んでいくのでしょうか?神の国を目指し、潔い船旅でありたいと願う、お茶会となりました。

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2012年1月 1日 (日)

2012年 新しい船出

「丘の上から、コンニチハ」をチェックしてくださる皆様

主にあって、2012年明けましておめでとうございます。本年も、よろしくお願いします。

昨年は、いまさら「おめでとう」などと書くなと言われような気がするほど、辛い年であったと思います。そしてその辛さは年を越してもなお、引きずっています。本日は元日であり、最初の日曜日です。通常ならば、丘の上の礼拝説教のページですが、中央会堂にて4会堂合同の元旦礼拝となっています。説教は「新しい船出」と題して、マルコ4:35-41より髙橋敏夫名誉牧師が語られます。

というわけで、山ちゃん先生の説教は来週になります。またお目にかかりましょう。2012年、あなたの新しい船出は、どんな旅になるのでしょうか。祝福をお祈りしています。

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