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2012年1月15日 (日)

深みへ

2012.115(睦月) NO.349

福音の深まり  使徒8:1424

 使徒の働きは、福音が当時の全世界に広まった様子を描いています。そればかりではなく、福音がどのように人々に受容されていったか、いわば福音の深まりをも描いていると思います。

サマリヤの人々が福音を受け入れたと聞いたエルサレム教会は、ペテロとヨハネを遣わしました。「天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」(ルカ9:54)とかつてヨハネが言った人たちが、イエスさまを信じたのです。福音が、民族を越えて広まっていったことであり、使徒1:8にある約束の成就でした。

サマリヤに着いた二人は、人々が聖霊を受けるように祈りました。このとき彼らにまだ聖霊が注がれていなかったのは、彼らの回心がエルサレム教会によって認知される猶予が必要であった為であったかもしれません。聖書を読むと、イエスを信じた時や、水のバプテスマの時、聖霊を受ける時期は、一様ではありませんでした。大切なのは、イエスキリストを信じたときに聖霊のバプテスマを受け、信者は聖霊の宮とされるということです(1コリント6:19)

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

聖霊を受ける、聖霊に満たされるということは、内的な事実です。それは目に見えませんが、このときは、異言がそのしるしとして与えられたのだと思います。彼はこのような権威を、お金によって手に入れようとしました。しかし神の賜物は、お金で手に入れられるような物ではないのです。また彼は、その権威によって自分が何か優れた者であるかのように振る舞おうとしました。それゆえ、ペテロは「おまえのような者は、地獄行きだ!」と責めたのでした(23)。シモンには、まだ福音を深く受け止めることができず、表面的なしるししか見えなかったのです。

かつては教会の迫害者であったパウロは、ダマスコ途上で回心します。バルナバの執り成しによって教会に加えられ、そして様々な経験や迫害を通して、福音をより深く受け止めるようになりました(ピリピ3:5-9)。キリストにある成人を目指していたパウロがたどり着いたのは、古い自分は死んで、イエスキリストによって生かされると言うことでした。之こそが、福音の深みです。私たちもこの深みにこぎ出していきたいものです。

ガラテヤ2:20 

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

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