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2012年1月22日 (日)

現在の塩の道は、キリストの道

2012.122(睦月) NO.350

キリストの道を行く  ヨハネ14:1-7

 先週月曜日、116日の朝、私の父山田敏雄が召されました(享年91)。本日の説教は、父の死と葬儀を終えた中でのものなので、どうしても父のことと重なり合ってしまうお話になってしまうことを、ご容赦いただきたいと思います。

ヨハネ14のみ言葉は、イエスがご自分の死をはっきりと意識されたときに弟子たちに語られたものです。確かに私たちは、トマスがイエス様に問うたように、自分自身がどこに行くのかわからないようなものです。その問いに答えたのが6節のみ言葉です。「わたしが道であり、真理であり、命なのです。わたしを通してでなければだれひとり父のみもとに来ることはありません。」

この道は単に天国に続いていると言うことだけではなく、キリストが歩まれたように歩むという私たちの地上の生涯を示しいることばです。

キリストの道は、弱い者と一緒に歩む道、弱さのある人により添う道です。父は、幼少の時から右足が悪く、びっこを引いておりました。中学校の教師として遠足や登山、そして化石の発掘などに生徒たちと一緒に出かけたことでしょう。父に合わせてそのグループはゆっくりとした歩みであったかもしれません。あるいは、父が弱い子どもと一緒に歩いたのかもしれません。父の兄弟や教え子からは、父がいろいろな意味で弱さのある人のために尽くしたことを伺いました。イエス自身が、悲しみで人で病を知っていた(イザヤ53:3)ので、弱い人により添うことができたのです。

キリストの道は、神様のことばを指針とする道です。マタイ4:4は、有名なみ言葉です。悪魔の誘惑に打ち勝った、イエス様のことばです。

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」

このみ言葉の背景は、イスラエルを脱出した民が、40年間荒野でさまよったという苦難の経験です。神は彼らを、わき水やうずら、そして「マナ」とよばれた食べ物で養ったのですが、それらは神の言葉こそが人を生かすものであることを教えるためでした(申命記8:3)。教会の文集作成を任された父は、1986年のチェルノブイリ原発事故にふれ、人のことばではなく神様のことばに聞くことの大切さを、昨年の原発事故の25年も前にすでに書いていたのでした(ぶどうの木第1号、19866月、高田聖書教会発行)。今日に通じるものがあると思います。

キリストの道は、人を生かす道です。日本列島には、海岸で作られた塩や物資を内陸に運ぶ「塩の道」が無数にあったということです。その中でも有名なのが、「塩の道、三国街道」でしょう。現在の糸魚川市と長野県の松本市を結ぶ約120キロメートルの道です。越後の上杉謙信が、南の塩の道を絶たれた甲斐の武田信玄に塩を送ったと言われる道です。この塩の道は、当時の人たちの生活を支え、情報の通路としても必要だったのです。私たちの歩みが、自分だけでなく、他の人をも生かすものでありたいと願います。

1ヨハネ2:6 神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。

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