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2012年1月29日 (日)

主を求めること

 

2012.129(睦月) NO.351

イエスのもとに行く  使徒8:26-40

 「人生は旅、私たちは旅人」と言われます。新しい船出にたとえれば、人生航路と言うことができるでしょう。どこに着く旅であり航路でしょうか。

なにやら先週の説教題と似たようなものになりましたが、ピリポに導かれてバプテスマを受けた宦官に焦点を当てて、みことばに聞いてまいりましょう。

み使いと聖霊に促されたピリポは、エルサレムからカザに下る道で、ひとりの人物と出会います。彼はエチオピアの女王に使える高官で、エルサレムに礼拝のために上り、その帰り道にありました。彼は「宦官」であったと書かれています。旧約聖書によれば神殿の中に入れなかったことでしょう(申命記23:1)。しかし、「門の外の改宗者」として、異邦人の庭で礼拝に集うことができたと思われます(イザヤ56:1-3)

宦官も言ってはならない。「ああ、私は枯れ木だ。」と。

エチオピアやエジプトは、多神教の国です。そのようなところから、エルサレムに礼拝のために上り、しかも聖書の断片を入手して声に出して読んでいたところから、彼が熱心に真の神を求めていた人であると推察できます。そのままでは入ることができない神殿にまで行ったと言うことですから、彼の求道の思いは熱心であったと思われるのです。

かつて、ユダヤ人から異邦人と嫌われていたツロ・フェニキアの女性は、何とかしてイエス様のことばをいただきたいと願いました。自分を食卓から落ちるパンを拾う犬にたとえてまで、主のことばを求めたのです。イエス様はそんな彼女の思いを知って、その信仰をほめたのでした(マタイ15:2627)

しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」

彼の開いている預言の書が語っているのはイエスであることがわかり、バプテスマを受けたとき、ピリポは聖霊によって取り去られ、彼の目から見えなくなりました。かつて、イエス様の死を知った二人の弟子は、気落ちしてエルサレムからエマオへの道を歩いていました。そこに主が現れ、みことばを語ったのです。二人がその人がイエスだとわかったとき、イエス様は見えなくなりました(ルカ24:13-35)。この宦官と同じような体験でした。

私たちも、ある人を失うと、その人のことがさらにわかるという経験をします。そして今度会うときは、はっきりとわかりたいと思うのです。聖書は、やがての日、主イエス様と私たちの愛する者とを、はっきりとわかる日がやってくると約束しているのです。ここに私たちの信仰、希望、愛があるのです。

1コリント13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

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