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2012年3月

2012年3月25日 (日)

心を一つにして  使徒423-35

2012.3.25(弥生) NO.358

 春の選抜高校野球が行われています。21日の開会式で、石巻工の阿部翔人主将の選手宣誓が、多くの人たちの共感を呼び、勇気づけられる言葉であったということです。その中に「日本がひとつになり、この苦難を乗り越えることができれば、その先に大きな幸せが待っていると信じています。」とありました。その通りであると思います。

エルサレムに生まれた初代教会は、今日ではどの教団、教派の人たちもモデルとする教会です。私たちも、年に一度使徒2章から礼拝説教を通して学んでいます。しかしそのような教会であっても、完全無欠ではありませんでした。内には争いや分裂、倫理的生活の乱れなどが起こり、外からは同胞や時の権力者から受ける迫害がありました。絶えず困難なことに直面してきたのであり、それがキリスト教2000年の歴史ともなっています。

本日の箇所は、ペテロとヨハネが指導者たちによって捕らえられ、最初の迫害にあったとき、教会の兄弟姉妹が心を一つにして祈った場面です。彼らは、造り主である神様を賛美することにおいて、一つでした。神が創造主であることは、私たちの価値観、世界観の土台であり、一人一人がかけがえのない存在であることを示す、大切なポイントです。また、彼らはイエスの名によって語ってはならないと脅されましたが、みことばを大胆に語ることにおいても一つでした。イエスの十字架と復活は、私たちの救いの物語の事実です。それを語ることが、私たちの日常の証しなのです。また彼らは、互いの持ち物を出し合い、分かちあい、一つの群れ、共同体としての生活を送っていました。人が生きるのは、このような互いを気遣う交わりです。ポストモダンの現代は、このような生活がないために、孤独死、孤立死というような悲しい出来事が起きるのではないでしょうか。

しかしながら、必ずしも一つになることは、良いことばかりではありません。キリストに逆らうために、人は一つになることができるのです。互いに敵対していた国主ヘロデと、エルサレムに来ていた総督ピラトは、イエスを十字架につけて殺すことにおいて、一つとなったのは、その典型です。

この日、ヘロデとピラトは仲よくなった。それまでは互いに敵対していたのである。(ルカ2312)

私たちが一つにされることも、神様に倣うことです。かつてイエス様はこう言われました。

わたしと父とは一つです。(ヨハネ1030)

これは、瞑想すべきみことばです。来週は、主イエス様が送られた最後の1週間を思い起こす受難週です。イエスの歩まれた道を、心の巡礼としてたどり、祈りと黙想の内に、主のみ言葉に心を留めて参りましょう。私たちがこの神様と一つとされるとき、互いに心と思いを一つにして神を賛美し、みことばを語り、互いが一つとされる生活を営むことができるのです。

2012年3月23日 (金)

桜 卒業!

小雨の降りしきる3月23日、新富町の駅を降りて坂道の階段を上っていきました。サインボードに導かれていったのは、フェリス女学院大学「カイパー記念講堂」。桜が、学位授与式、卒業式を迎えたのでした。Dscf5426

 祈りと賛美が捧げられ、礼拝式の中で600名超える学生一人一人に学位記が授与され、学舎から巣立っていきました。思い返せば、合格できるとは思えなかった成績でありながら、受験の前年より導入された授業を聞いてそれをまとめるという試験に合格し、まさに神様の哀れみと恵みによる学生生活のスタートでした。教会員のSさん宅に2年間下宿させていただき、親元を離れての経験もできました。就職先がなかなか決まらないという厳しさの中でも、何とか当初から願っていた学校事務に就職が決まり、一昨日は先輩の方々と掃除をしてきました。新しい事務机が用意されており、いよいよここで働くのだという思いが高まってきたことでしょう。

 式の中で捧げられた宗教主任の先生の祈りは、この厳しい時代に出て行く人たち、そしてなお困難な中にある人たちのことを覚えた、励ましと暖かさを感じるものでした。また、学長先生の告辞(卒業の講話)は、ネオニヒリズムの時代にあって、歴史を学び、自分の物語を語っていくことの大切さを整えられた文章で語られた、深い内容のものでした。(2010年の告辞→告辞

 すばらしい先生方、そしてよき友人にも恵まれた、幸いな4年間であったと思います。Dscf5430

 ここまで導いてくださった神様と、祈り支え、そして励ましてくださった方々に、心から感謝しております。なんといっても、私の大学生活の最後は、卒業式には出ず、4月になって母校を訪ねて、学生課の方から卒業証書を受け取った次第ですから、なんと幸いなときだったことかと、感無量でした。ハイ、親ばかなブログになってしまいましね。

2012年3月18日 (日)

クリスチャンというのは、あだ名だった?

キリスト者とよばれる  使徒1119-30

 神様のことば、福音は次第に広まっていきました。それは迫害によって散らされた人たちによる、個人的な証しによるものでした。私たちも救いの経験を自分のストリートして語ることは、ポストモダンの時代における証しの方法です。

その人たちは、ユダヤ人にしか語りませんでしたが、アンテオケに来てからは、ギリシャ人にも語るようになり、大勢の人たちがイエス様を信じて主に立ち返ったのです。それまでも、異邦人にもみことばがつたえられコルネリオのような改心者がありましたが、アンテオケにおいて、みことばの宣教がさらに拡大していったのでした。

アンテオケは、当時のローマ世界において、第3番目の大都市であり、いろいろな人たちが行き来する国際的な街でもあったのです。人口は、50万人ほどであったといわれています。そこに教会が生まれたのです。エルサレムから遣わされたバルナバは、故郷のタルソに退いていたサウロ、言うまでもなく後のパウロですが、を連れてきて、さらにみことばをのべ伝え、弟子たちを教えました。

この町で、イエスを信じる人たちは初めて「キリスト者」と呼ばれました。今日で言う「クリスチャン」という名称が生まれたのです。しかし、これはあだ名でした。それまではほかの言い方でしたが、周りの人たちが彼らの生活を見て、彼らの知っている宗教やユダヤ教を信じている人たちとは違うことを感じたのです。この呼び方の言葉上の意味は、キリストに属する者、キリストに従う者というものです。しかしその本意は、古い自分が死んでキリストによって生かされることです(ガラテヤ220)

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

最初は侮蔑的な意味も込められている呼び方でしたが、次第に教会の人たちによってこの名称が定着し、今日に至るようになりました。

キリスト者とよばれるとは、キリストを中心とした交わりです。彼らは、ユダヤ人の会堂や家々を集会所としたことでしょう。聖餐式を守り、聖書を教え、祈りをしていました。次第にその集まりは組織化され、たまものに応じた働きが整えられてきました。そして何よりも、彼らはキリスト中心とした愛を分かち合う人たちでした(ヨハネ1335)

もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。

飢饉に苦しむエルサレム教会への献金や物資の支援は、その愛の表れだったのです。実際に、助け合う愛の交わりがあったのです。大きな震災を経験した私たちは、「キリスト者」と呼ばれることの意味を、改めて思い起こし、それにふさわしい者としての行動があることでしょう。

2012.3.18(弥生) NO.357 

春日部福音自由教会 山田豊

2012年3月12日 (月)

天の故郷

しばらく体調を崩し、先週の月曜日は、寝込んでしまいました。風邪から来るウイルス性胃腸炎とのことで、食欲は全くありませんでした。パソコンもダウンし、ようやく本日戻って参りました。体も、ようやく元気になりました。

そんな中でしたが、礼拝に集われている方のご主人様が急にお亡くなりになり、葬儀の司式を依頼されました。ブレーキを扱う一流企業を勤め上げた方で、ご両親の信仰によって幼いときに、洗礼を受けておられました。福澤諭吉の故郷である、大分県中野市の教会でのことでした。

3月7日、8日の葬儀は、この方の薫陶を受けられた方々の力添えによって滞りなく進められ、多くの方々がつどってくださいました。セレモニーホールの中央には、十字架の飾りをたて、天国の希望、復活の命のをご遺族初め、皆様に感じ取ってほしいと願いました。

昨年の大震災では、故郷を失ったり、心ならずも故郷を出なくてはならない方がありました。しかし私たちのまことの故郷は、天にあります。そこに希望をおいて、進んでいきたいと願わずにはおれません。

Jujika_tagahara

心の方向転換

2012.3.11(弥生) NO.356

命に至る悔い改め  使徒11118

 本日は、改めのお伝えするまでもなく、東日本大震災から丸1年目にあたる日です。昨年の今日、お互いにどこで何をしていたか、忘れることができないと思います。この日の出来事を境に、今なお大きな苦しみにある方々を忘れることなく、慎んでこの日を過ごし、さらなる復旧や復興に向けた新しい一日となることを祈っております。

異邦人も神の言葉を受けいれたという知らせが、エルサレムの教会にもたらされました。ところが、エルサレムに戻ったペテロは、割礼派のユダヤ人から、彼が割礼を受けていない異邦人とともに食事をしたということで、非難されました。彼らにとっては、神の言葉を受け入れたのであれば、たとい異邦人であっても自分たちと同じように割礼を受け律法を守るべきであり、ペテロに至っては、そうでない人たちと食事をするとはとんでもないことでした。

これに対して、ペテロは自分の経験したことを順序立てて話しました。彼が見た夢の話、百人隊長コルネリオとの出会い、そして彼らに聖霊が下り、回心のしるしとしてバプテスマを授けたことを語りました。これを聞いてい人々は納得し、「神はいのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになった!」と言って、神をほめたたえたのでした。

ここに至るまで、ユダヤ人、特に割礼派の人たちには過ちがありました。それは、神の言葉を受け入れたものは、どんな人でも自分たちと同じようにしなければならない、ということです。これは、恵みによる救いと律法(生活、文化、風習など)をどのように調和させるかという問題です。異邦人の回心者が多く与えられるようになり、エルサレムにおける教会会議で同じようなテーマが話し合われ解決をみます(使徒15)。しかし、月日がたつと、あのペテロがユダヤ人を恐れて異邦人から身を引く、というようなことが起き、この問題の複雑さを浮き彫りにしています(ガラテヤ2:1113)。これは、今日でも同様におきる問題です。

使徒の働きのキーワードの一つは「悔い改め」です。心の方向を転換し、神様に立ち返ることです。「回心」とも訳せます。単なる反省や、自虐的なって自分を責めることではありません。実際にその人の思いや生活に、変化がなければ悔いあらためとは言えないでしょう。少なくとも、悔い改めの実を結んでいるとは言えません。

311の出来事を通して、被災地の人たちだけでなく、私たちすべてがもう一度自らの生活を省み、自然の営みを造り保っておられる神様に立ち返ることがなければ、この日が命に至る記念日とはなりません。悔い改めは、神と人を愛する営みでもあるのです。ギリシャ語の悔い改めは「メタノイア」ですが、逆に読めば「・・・・・」となるではありませんか。

悔い改めはつらいことではありますが、私たちに命を与えてくれるのです。

2コリント7:10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

2012年3月 4日 (日)

フェアプレーでいきましょう

2012.3.4(弥生) NO.355

神の公平さ  使徒10:3443

 マラソンランナーは、走りながら「自分はなぜ走っているのか」と考えることがあるそうです。私たちもあることをしながら、どうして自分はここにいるか、このことの意味は何か、と考えることがあることに通じるように思います。

キリスト教は、世界3大宗教の一つといわれます。1世紀にエルサレムに誕生した教会は、ペテロやパウロの伝道により地中海世界に多く誕生し、今では全世界に建てられていると言っていいほどになりました。日本にも外国人宣教師によって福音が伝えられ、数少ないクリスチャンとはいえ、教会は教育や福祉などに良い影響を与えてきました。埼玉県下では、日本キリスト教団和戸教会が最古の教会として知られています(1878年創立)

ユダヤ人の救いによって始まった教会は、福音が広く伝えられることによって、異邦人も神の言葉を受け入れ、救われ、異邦人の教会が建てられるようになりました。異邦人とはユダヤ人以外の人たちを表す言葉ですが、ユダヤ人以外は救われないと考えていた人たちにとっては、あり得ないことであったと思われます。異邦人も救われたのであれば、ユダヤ人と同じように律法を守るべきと考えていた人たちも、多くいました。いまでは当たり前と理解されているような異邦人にも福音が伝えられ、彼らもまた恵みによって救われるという、最初のできごとが、使徒1011章に書かれています。ローマの兵士である百人隊長コルネリオとペテロの出会いが、異邦人の救いにつながっていったのでした。

このときペテロは、何を知ったのでしょうか?どんなことを悟ったのでしょうか?それは「神は公平な方であり、全て神を畏れる者をお救いになる」ということでした。人はモーセの律法を守り行うことが無ければ救われない、というユダヤ人の思いを砕くものでした(ローマ2:10,11)

「栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行なうすべての者の上にあります。神にはえこひいきなどはないからです。」

昔「異邦人」という歌がヒットしました。作詞作曲はのちにクリスチャンシンガーとなった久米小百合(久保田早紀)さんです。彼女はお父様がイランに単身赴任しているとき、そのお父様が彼の地の音楽を良く聞いていたそうです。そのような事が「私は無国籍のような風景が好き」という思いを起こさせ、あの曲の誕生につながったのではないかと言っておられました。

人生には不条理なことが起きます。神は本当に公平なのか、と思わせるようなことが起こります。しかし人は罪故に、そのままでは滅んでしまうものになってしまったのです。そのようなものをあわれみ、救いのためにイエスキリストを遣わし、すべての人を分け隔て無く神の救いへと導いてくださるのです。その招きの声に従うか従わないのか、その決断は私たちの手にあるのです。

2コリント6:2 

神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

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