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2012年3月12日 (月)

心の方向転換

2012.3.11(弥生) NO.356

命に至る悔い改め  使徒11118

 本日は、改めのお伝えするまでもなく、東日本大震災から丸1年目にあたる日です。昨年の今日、お互いにどこで何をしていたか、忘れることができないと思います。この日の出来事を境に、今なお大きな苦しみにある方々を忘れることなく、慎んでこの日を過ごし、さらなる復旧や復興に向けた新しい一日となることを祈っております。

異邦人も神の言葉を受けいれたという知らせが、エルサレムの教会にもたらされました。ところが、エルサレムに戻ったペテロは、割礼派のユダヤ人から、彼が割礼を受けていない異邦人とともに食事をしたということで、非難されました。彼らにとっては、神の言葉を受け入れたのであれば、たとい異邦人であっても自分たちと同じように割礼を受け律法を守るべきであり、ペテロに至っては、そうでない人たちと食事をするとはとんでもないことでした。

これに対して、ペテロは自分の経験したことを順序立てて話しました。彼が見た夢の話、百人隊長コルネリオとの出会い、そして彼らに聖霊が下り、回心のしるしとしてバプテスマを授けたことを語りました。これを聞いてい人々は納得し、「神はいのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになった!」と言って、神をほめたたえたのでした。

ここに至るまで、ユダヤ人、特に割礼派の人たちには過ちがありました。それは、神の言葉を受け入れたものは、どんな人でも自分たちと同じようにしなければならない、ということです。これは、恵みによる救いと律法(生活、文化、風習など)をどのように調和させるかという問題です。異邦人の回心者が多く与えられるようになり、エルサレムにおける教会会議で同じようなテーマが話し合われ解決をみます(使徒15)。しかし、月日がたつと、あのペテロがユダヤ人を恐れて異邦人から身を引く、というようなことが起き、この問題の複雑さを浮き彫りにしています(ガラテヤ2:1113)。これは、今日でも同様におきる問題です。

使徒の働きのキーワードの一つは「悔い改め」です。心の方向を転換し、神様に立ち返ることです。「回心」とも訳せます。単なる反省や、自虐的なって自分を責めることではありません。実際にその人の思いや生活に、変化がなければ悔いあらためとは言えないでしょう。少なくとも、悔い改めの実を結んでいるとは言えません。

311の出来事を通して、被災地の人たちだけでなく、私たちすべてがもう一度自らの生活を省み、自然の営みを造り保っておられる神様に立ち返ることがなければ、この日が命に至る記念日とはなりません。悔い改めは、神と人を愛する営みでもあるのです。ギリシャ語の悔い改めは「メタノイア」ですが、逆に読めば「・・・・・」となるではありませんか。

悔い改めはつらいことではありますが、私たちに命を与えてくれるのです。

2コリント7:10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

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