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2012年4月

2012年4月30日 (月)

天使が浦和に降り立った

いつもながら、この人の作品はすてきだなあ~と思います。

人形を作って・・・年、教会のKさんの作品が、第36回埼玉女流工芸展に展示され、先週見に行って参りました。今回は、「クリスマス劇」という題で、3人の天使が踊っています。救い主誕生の知らせを聞いて、東の国からやってきた3人の博士をも連想させられますね。今回は、女流作家協会の「会員推挙」も受け、着実に実力をつけてこられています。

教会の中でも、彼女の力作がたくさん見られたらいいなと思います。

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2012年4月29日 (日)

苦しいときの神頼み?

苦難の中の祈り  使徒12112

2012.4.12(卯月)NO.362

「苦しいときの神頼み」という言葉があります。これは悪い意味では無いと思います。困難なときほど神様により頼む、自分の力で何とかしようというのではなく、神様への完全な信頼を促す言葉であると思います。

使徒12章は、バルナバとサウロが飢饉に襲われたエルサレム教会に派遣され、その任務を終えて帰ってくる合間の出来事として書かれています。これは時間的な流れに沿ったことというより、13章以降の記述はアンテオケ教会から派遣されたパウロたちによるものとなるので、これまで中心地であったエルサレム教会やペテロたちの働きを一区切りつけるためだと思われます。

1節のヘロデ王というのは、イエス誕生の時代にユダヤの王であったヘロデ大王の孫に当たる、ヘロデアグリッパ1世のことです。その子供のアグリッパ2世は、後にパウロの弁明を聞くこととなります(使徒2526)。彼は祖父から受け継いだ政治的領土を拡大しており、ユダヤ人の関心を買うことに成功し、首尾良くユダヤを治めていたようです。ユダヤ人にとっては、新しい勢力としての教会の人たちは苦々しい存在でした。ヘロデと考えが一致していたのでしょう。そのため、ヘロデは使徒の一人であるヤコブを殺害し、さらにペテロをも捕らえ、自らの地位を安定したものにしようとしたのです(13)

牢獄に留置かれたペテロは、厳重に監視されていました。しかし主の使いによって奇跡的に解放され、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家に戻ることができたのです(412)

私たちも苦しみや試練に遭うことがあります。しかし神様は、そのような中でも脱出の道、解放の道を備えてくださっているのです(1コリント1013)

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

このとき、教会は熱心に祈っていました。兄弟姉妹が共に集まり、祈りをしていたのです。どのようなかたちで祈っていたのかは定かでありませんが、ペテロの救出や、教会への迫害から逃れることができるようにとの、願いであったでしょう。しかしそれ以上に、彼らは神様との交わりをより親しく求め、主のみこころがなることを祈っていたのだと思います。祈りは、苦しみを取り除くための方法や、願っていることを叶えるおまじないではないのです。父なる神様に心から信頼する、それが苦難の中の祈りであり、その結果が堂であれ神様にゆだねる信仰が大切なのです。

ピリピ46 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

2012年4月24日 (火)

来ました!春日部の夕子!

我らが市民ランナー、伊藤夕子さんの快挙です。

4月22日に行われた、IAU公認の100キロウルトラマラソンで、自己記録を更新! 見事女子の部8位に入賞し、団体女子銀メダル獲得に貢献しました。(IAUのHPにあるLive Coverageをクリックすると、速報が見られます。4月24日現在)

K田さんの夏炉冬扇にアップされていましたので、詳細はこちらをご覧ください。大変タフなレースになったようで、「何のために走るのか?」そんな、根源的な問いが綴られています。

これでまた、Kasukabeの名前が、世界に知られるようになったことでしょう。伊藤さんは、来週行われる春日部大凧マラソンにも出場し、4連覇に挑みます。教会の人たちも、私も含め、5人エントリーしています。応援、ヨロシク!

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               トロフィーを掲げて:左、藤澤さん 中央、工藤さん 右、伊藤さん

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夏炉冬扇→「karotosen_1735.pdf」をダウンロード

幼子のように

22日の礼拝後、献児式が行われました。

昔、イエス様は生後8日目に、両親に携えられて神殿に上り、神様の祝福を受けました。イエス様も、幼子や子供たちを祝福し、この子供のようにならなければ神様の国に入れないと、諭されました。

生後4ヶ月になった義哉君は、とても元気でかわいらしい赤ちゃんです。なによりも、ご両親の大きな愛を受けていることを感じました。礼拝者一同が、赤ちゃんパワーをいただいたとき共なりました。My favorite の「見えないもの」にリンクがありますから、ご覧くださいね。

2012年4月22日 (日)

お墓とは?

死から命へ  1コリント1515

2012.4.22(卯月) NO.361 

人は死ぬと、墓に葬られます。人間にとって、あなたにとって、墓とは何でしょうか?

聖書の語る最も大切なことは、イエスキリストの死と復活です。もちろんイエス様の処女マリアからの誕生も大切なことですが、それは自明のこととしてこの箇所には書かれてありません。

イエス様の葬りは、当時の習慣に倣ったものでした。岩をくりぬいた新しい墓穴に、亜麻布で巻かれて香油を塗られ葬られたのでした。ローマ兵が番のために置かれ、穴をふさぐ墓石は封印されるという、厳重なものでした。確かにイエスは死に、葬られたのです。このことは、大切です。

しかしそのイエスは、復活されました。イエスの死後、イエスと出会った人が大勢おり、このコリント人への手紙が書かれた頃には生き証人がまだいたのです。からの墓は、必ずしも復活のしるしとは言えませんが、死んで確かに葬られた人とその後で出会った人がいたと言うことは、復活が実際に起こったことを示す最も強力なしるしです。

このことは、私たちに何を語っているのでしょうか?もともとお墓は、亡くなった人を供養する目印でした。時代にがたつに従って、その目印としての墓は朽ちない石などになり、家柄を重んじるころになると、だんだん立派なものになっていきました。日本人には、亡くなった愛する者と再び会いたいという思いがあるとともに、死んだ人が生き返ったりよみがえったりすることを恐れたり、忌み嫌うという思いを持っています。いわば、復活を否定する精神的な背景があると言うことでしょう。亡くなった方をなだめるための儀式や、副葬品を入れるのは、その表れです。

キリスト者にとっては、墓は故人を思う記念のところです。しかしそれだけではなく、その方と再び会うことを希望として思い起こす場所です。復活は、恐ろしいことや忌み嫌うことではなく、希望であり慰めなのです。その初穂として、イエスは死んで葬られ、3日目によみがえってくださったのです。

このことを信じるのは、子供のような素直な心から出てくることです。頑固な自分に死んでこそ、生きる道、いや神様に生かされる生涯が始まるのです。

アッシジのフランシスの平和の祈りにあるように。

「おのが身を捨てて死するがゆえに永遠の生命を得るものなればなり」

聖クララ会訳

キリスト者にとってお墓とは、献身を記念する場所でもあるのです。

ローマ121 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

2012年4月16日 (月)

夜桜

Yozakura 昨日は召天者記念礼拝でした。丘の上の桜も葉桜となり、散る花びらに天に召された人たちのことを思いました。

夜の桜は、十字架にかかって、ちょっとしんみり見ることができました。キャッとする来訪者も・・。

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2012年4月15日 (日)

空の鳥、野の花を見てみれば

心から求めるのは  マタイ62634

2012.4.15(卯月) NO.360  

今日も共に礼拝を捧げていますが、何を思いながらここに集っているでしょうか?私たちが日々求めているものは、何でしょうか?

自然災害や病気、家庭の経済など、私たちの身近には心配な事柄が至る所に起こっています。先週の木曜日、京都で起きた軽トラックによる暴走事故(事件?)は、被害に遭われた方にとっては理解しがたいまことに不条理な出来事です。ニュースを聞いていて、つらくなりました。このように、心配の種が尽きないのが、この世の営みです。

山上の説教でイエス様の語られたことを要約すれば、「心配するな」ということになると思います。他の日本語訳では「思いわずらう」となっています。たぶん人間ほど、心配性な生き物はいないのでしょう。イエス様は、空を飛ぶ鳥、野に咲く花を見て学びなさいと語っています。

28節には「野のユリ」と訳されていますが、イスラエルにおいて野の花はアネモネを指すようです。かつて教会の仲間とイスラエルツアーに行ったとき、現地ガイドの方がアネモネの花畑に案内してくれました。赤と白の小さな花でした。アネモネとはギリシャ語で風という意味です。羽を持つ種子が風に飛ばされるところからこの名がついたようですが、花言葉は「はかない夢」「薄れゆく希望」などで、30節にある言葉と重ね合わせると、いかに花の命が短くはかないものかを感じさせます。しかしそのような花を神様は養ってくださっているのですから、神のかたちに造られた人間である私たちを、神様は養ってくださらないはずがない、というのです。

そこで出てくるのが、33節のみ言葉になります。

マタイ633 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

「神の国」とは、神様の治める領域のことです。主の祈りにあるように、神様の御心を求めて生きなさい、ということでしょう。「その義」とは、イエス様の生涯によって表された神様の義、真実です。相対的なものではなく、絶対的なものであり、神様ご自身と言って良いでしょう。上杉謙信は「第一義」を掲げましたが、これは釈迦が悟った〝万物の真理〟を意味します。私の卒業した高校の講堂に大きな額に入って掲げられていた言葉でした。確かに良い言葉ですが、神の義は、イエスキリストのあがないよって保証されている、変わることのない真実です。そして、罪深く思い煩いやすい私たちを生かす言葉です。

ローマ326 それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

イエスを信じて義と認められ、どんなに苦しいことがあっても私たちを養ってくださる方に信頼して、今週も歩んでいくことができるのです。

2012年4月 9日 (月)

勝った、またまた勝った

イエス様が墓に葬られた土曜日、そして、教会では復活祭の前日準備に忙しい中、お暇をいただいて甥っ子の試合の応援に行って参りました。場所はいつもの、後楽園ホール。隣の「小石川後楽園」で庭をみて、6時過ぎに入りました。大変よくできている、庭園でした。

試合は前回の対戦相手と同じ角海老ジムの23歳の若い選手。慎重にいこうとしていたのか、堅かったのか、いまいち調子がのっていないように見えました。4R、相手のジャブをもらい続けたため、右目下が腫れている。カットされるんではないかと思い、次のラウンドで決めないとやばいかもしれないとちょっと心配。しかし、5R,得意の右が相手の顔面に入って血が飛び散るのがわかりました。左顔面が赤く染まり、ドクターチェックの後、ストップエンドとなりました。相手選手は、ここまでよく頑張ったと自分でも感じていたのでしょう、悔し涙を流していました。

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レフリーから勝利の手を上げてもらっていても、ごらんの表情。村木田一歩さんのリングコラムにもあったように、「決めの右ショットにもっと効果的につなげるために」さらなる研究、努力がいると本人も感じた、会心の勝利とはいえない一戦だったのではないでしょうか。

新しくできた応援旗には「頂点をめざして」とあったから、これからもさらに上をめざして励んで欲しいと思います。それにしてもよくやった健太郎!

復活の喜び

晴れ渡った空の基、復活祭野外礼拝がやわら第4公園にて行われました。その後は、藤通りを鼓隊とタンバリン隊を先導にしてパレード。西口ロータリーには駐車中の車両がなく、駅前で復活の賛美を演奏でき、子供たちも主の証し人としての奉仕ができました。

教会前通りは、いろいろな出店が並び、復活の喜びを共に味わいました。

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<受難劇ピラト役のティム先生と初めてタンバリンをたたいた丘の上の子供たち>

昨年は震災のために、規模を縮小してその分を宮城県のK教会に献金いたしましたが、今年は一年ぶりに野外のプログラムを行えました。引き続き被災地へのカンパは続けて参ります。真の復興は、復活された主の命から始まることをも祈る、一日となりました。

復活祭の祈り

2012年4月8日

復活祭野外礼拝の祈り

憐れみ深い天の父なる神様

あなたの御名を賛美いたします。

昨年は、大きな震災の故に、痛みの中で復活祭を迎え、中央会堂にて礼拝を捧げました。今年はこのように、幼子からご高齢の方まで共に集い、いつものこの公園にて野外礼拝を捧げられますことに、心より感謝をいたします。

私どもは今なお、昨年の苦しみを覚えております。なによりも、主イエスもご自身もお苦しみになられたことでしょう。その主は、自らの命を捧げ、十字架の死と復活によって、私たちに父なる神様の愛を示してくださいました。本日の礼拝と午後のひとときを通して、私たちに復活の主の愛を、そして命を与えてください。またこの国にいる同胞、海外から寄留しているすべての人たちに祝福をお与えくださり、私たちが主の愛と復活の命の証人となって出て行けるよう、力を与えてください。

この礼拝と、本日の午後の営みのすべてを、神様におささげいたします。

主イエスキリストの御名によって、お祈りを致します。

2012年4月 3日 (火)

新学期、開講!

2,012年度のELC新学期が4月7日より始まります。8日の復活祭には、ELCブースも開きますよう。

詳しくは、→ELCからご覧ください。丘の上では、火曜日午後5時からのキッズクラス、水曜日午前10時からの婦人クラスを行っています。

ティムとクリスティーと一緒に、英語に親しむ時をエンジョイしてください。

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妙高山を裏から見れば

先週、3月29~31日まで、西地区の中学生キャンプ、JLCの集会に行って参りました。自分の子供かと思うようなかわいいお友達が集ってくれて、一生懸命お話を聞いてくれました。お茶の振る舞いには、ほとんど皆さん「おいしい!」といってくださり、ありがたかったです。夜の集会の後、こっそり部屋に飲みに来る男の子もありました。祝福されたときとなったと思います。

今回の場所は、長野県須坂市の、須坂青年の家。菅平にある、県立の施設です。所長さんや教育指導の先生方もお茶を召し上がってくださり、親しくお話をさせていただきました。

この場所、眺めが抜群にいいのです。初日は快晴で、北アルプスから故郷の妙高山まで、きれいに見られました。画像は、最終日に撮ったので、よく見えませんが、妙高山と黒姫山が写っています。私の実家から見る景色とはだいぶ違います。あ~、又田舎に行きたいなあ、と思わずため息。18日に父の納骨に帰るので、そのときまでのお楽しみにしておきましょう。やはり山は、いいものです。

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2012年4月 1日 (日)

イエスのエルサレム入城は、涙であった

神の訪れの時  ルカ1941-46

2012.4.1(卯月) NO.359  

今週は、主イエスの最後の一週間である受難週です。その第1日は、イエスがロバの子に乗って都エルサレムに入る出来事です。人々は棕櫚の葉をもってホサナと叫びながら迎えたので、棕櫚の聖日とも言われています。熱狂してイエスを迎える民衆の姿がありました。ところが、同じ日の出来事でありながら、ここに描かれているイエス様は、泣いておられるのです。かつて友人のラザロが亡くなったという知らせを受けたとき、涙を流されたイエス様の姿を思い起こさせます。人々とは、ま逆の反応です。

なぜイエス様は、都を見て泣かれたのでしょうか?それは、人々はこの都の繁栄がいつまでも続き、弟子たちでさえ神殿の立派さに目を奪われたからでした。しかしイエスは、この都がやがて滅ぼされ、神殿も破壊されることを知っておられ、そのことに気付かないで今の繁栄がいつまでも続くと信じている人々を、あわれまれたのです。自分たちに滅びが迫っているのに、そのことに気がつかないでいることほど、愚かでかわいそうなことはありません。事実、エルサレムはその後ローマ軍によって侵略され、神殿は破壊され、ユダヤ人はまた離散の民となってしまいました。その後エルサレムの市街地は復興されましたが、いまだに神殿は再建されていないのです。

人々が平和と繁栄を誇っているときに滅びが襲う、これは悲劇的なことです。昨年の震災と原子力発電所の事故は、今見ているものが大丈夫である、永遠に不滅である、人々の平和を守ってくれると信じていたものが、大きな力の前にまったく無力であったことを示すものでした。

イエス様の涙のもとは、人々が神の訪れのときを知らないことによります。神の裁きのあることを知らず、あるいは無視して、好き勝手なことをしていることを悲しく思われているのです。誰かが訪ねてくるとわかっていれば、だれもがそれなりに備えをすることでしょう。神の訪れのときに備えるとは、キリスト者にとっては祈りと、愛による行動です(1ペテロ4:7)

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。

普段の備えとしては、新年度のみことばのように、神の国と神の義を求めて生きることです(マタイ6:33)

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

そして、イエス様が持っておられたあわれみの心をもってすごすことです。それは、父なる神様にならうことです(ルカ6:36,37)。あわれみの心がなければ、神の訪れのときに備える者とはいえません。

滅び行くものをいとおしむ心、それがあわれみです。受難週の中で、あなたの近くにいる苦しんでいる方にあわれみの心を具体的にあらわすことができたら、その方とともに主の苦しみにともに預かるという幸いを経験できるでしょう。

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