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2012年4月15日 (日)

空の鳥、野の花を見てみれば

心から求めるのは  マタイ62634

2012.4.15(卯月) NO.360  

今日も共に礼拝を捧げていますが、何を思いながらここに集っているでしょうか?私たちが日々求めているものは、何でしょうか?

自然災害や病気、家庭の経済など、私たちの身近には心配な事柄が至る所に起こっています。先週の木曜日、京都で起きた軽トラックによる暴走事故(事件?)は、被害に遭われた方にとっては理解しがたいまことに不条理な出来事です。ニュースを聞いていて、つらくなりました。このように、心配の種が尽きないのが、この世の営みです。

山上の説教でイエス様の語られたことを要約すれば、「心配するな」ということになると思います。他の日本語訳では「思いわずらう」となっています。たぶん人間ほど、心配性な生き物はいないのでしょう。イエス様は、空を飛ぶ鳥、野に咲く花を見て学びなさいと語っています。

28節には「野のユリ」と訳されていますが、イスラエルにおいて野の花はアネモネを指すようです。かつて教会の仲間とイスラエルツアーに行ったとき、現地ガイドの方がアネモネの花畑に案内してくれました。赤と白の小さな花でした。アネモネとはギリシャ語で風という意味です。羽を持つ種子が風に飛ばされるところからこの名がついたようですが、花言葉は「はかない夢」「薄れゆく希望」などで、30節にある言葉と重ね合わせると、いかに花の命が短くはかないものかを感じさせます。しかしそのような花を神様は養ってくださっているのですから、神のかたちに造られた人間である私たちを、神様は養ってくださらないはずがない、というのです。

そこで出てくるのが、33節のみ言葉になります。

マタイ633 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

「神の国」とは、神様の治める領域のことです。主の祈りにあるように、神様の御心を求めて生きなさい、ということでしょう。「その義」とは、イエス様の生涯によって表された神様の義、真実です。相対的なものではなく、絶対的なものであり、神様ご自身と言って良いでしょう。上杉謙信は「第一義」を掲げましたが、これは釈迦が悟った〝万物の真理〟を意味します。私の卒業した高校の講堂に大きな額に入って掲げられていた言葉でした。確かに良い言葉ですが、神の義は、イエスキリストのあがないよって保証されている、変わることのない真実です。そして、罪深く思い煩いやすい私たちを生かす言葉です。

ローマ326 それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

イエスを信じて義と認められ、どんなに苦しいことがあっても私たちを養ってくださる方に信頼して、今週も歩んでいくことができるのです。

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