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2012年6月 3日 (日)

新しい教えは、いつも危うい

御恵みのことば 使徒14:1-7

通信販売の広告には、お手軽に・・できます、という言葉がよく聞かれます。確かに手軽にお掃除がはかどったり、体が丈夫になったり、庭の手入れができるようになれば、大変便利なことです。

しかしそのような中には、危うさ差があります。旧約の予言者エレミヤは、手軽に癒やし癒やされることを戒めています(エレミヤ6:14)

彼らは、手軽にわたしの民の傷をいやし、平安がないのに『平安、平安』と言っている。

福音を宣べ伝えることは、安易な癒やしを人々に提供することではありません。宣教そのものが、宣べ伝える事の楽しさはあっても、困難を伴うことでもあります。イコニオムへと進んだパウロとバルナバは、ここでもユダヤ人の会堂に入り、福音を語りました。ユダヤ人もギリシャ人も大勢の人々が信仰に入りました。宣教の成果が上がったように見えました。

しかし信じようとしないユダヤ人は異邦人をそそのかし、兄弟たちに悪意を抱かせました。二人はそのような状況の中でもみ言葉を述べ伝え続け、ついに町は彼らに着く側と、ユダヤ人につく側とに二分され、二人を石打ちにしようとの陰謀が企てられるほどになりました。

福音が宣べ伝えられるところ、それを信じるか否か、聴衆は決断を迫られます。之はどの宗教でも言えることでしょう。いわば、その教えを信じるか信じないか、受け入れるか拒絶するか、究極の決断をしなくてはならないということです。このようなことが、人々を巻き込んだ紛争や戦争に発展するので、宗教は危険である、悪い物であると考える人は少ないでしょう。しかし、このようなときの起きる争いの原因は、その教えの違いではなく、それを受け止めた人たちの心の中にある考え方の違いです。二人の語っていることを信じなかった人たちは悪意を持ち、彼らが逃れたルステラにまで追いかけてきました(19)。日本でも、鎌倉時代に起こった新仏教(浄土宗、浄土真宗、法華宗など)が弾圧されたのは、旧仏教派(天台宗、真言宗など)やそれを信奉する人たちからの悪意から出たという面もあったと思います。まさに、人の心から出てくるものは、悪意が第1番なのです(マルコ7:21-23)

内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人~

確かに福音、聖書のみ言葉は諸刃の剣です(ヘブル4:12)。聞いた者は、リスポンスを求められます(ヨハネ3:1718)。しかし二人が語った福音は、それを信じない人をも救いに導くみ言葉です。互いの信仰や主義主張が違っていてもそれを認め、評価することは優しいことではありませんが、神の恵みがそこにあるのです。私たちが悪意を捨てれば、御恵みのことばのすばらしさを知ることができるでしょう。

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