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2012年6月17日 (日)

目を離さないで

信仰にとどまる 使徒14:19-28

先週の月曜日から水曜日まで、合計5名の牧師先生方と、秋田研修ツアーに出かけて参りました。おいしいお食事と深い森の新緑の風景は、心も体もリラックスさせてくれました。そして何よりも、彼の地で福音に生き、そこにとどまって福音を宣べ伝えておられる教職の方々との出会いは、これからの伝道者としての生涯に、貴重な学びを提供してくれるものとなりました。

さて、ようやく騒ぎの収まったルステラに、パウロたちをよく思わないユダヤ人たちが来て、群衆を巻き込んでパウロを石打にしてしまいました。幸い彼は気を失ってしまいましたが命は助かり、バルナバと共にデルベへと向かいました。苦難が襲ってきても、福音を宣べ伝えるとの姿勢は、変わりませんでした。そこで多くの人を弟子とし、之まで通ってきた町を逆にたどってアタリヤまで下り、そこから船に乗って出発地であるシリヤのアンテオケへと帰って参りました。そして、之までの伝道の働きを振り返って、神様が異邦人にも信仰の門を開いてくださったことを感謝を持って報告したのでした。ここに、パウロの第1回伝道旅行は、終了いたしました。

デルベは、ローマ帝国においては最も東に位置する町です。彼がこのとき回った小アジアは、主に南ガラテヤの地方でした。(北ガラテヤとする説もある)

デルベでパウロが弟子たちに語ったことは、信仰を全うして神の国に入るには多くの苦難を経なければならないが、神様が開いてくださった信仰にとどまるようにということでした。22節の「とどまる」という言葉は、信仰にしっかりと根ざすと言うことであり、英語で言えば、飛行機の搭乗予約や売買の契約を確定する、というような意味になります。そのために、教会ごとに長老を立て、後には再訪問や書簡を送ることによって、彼らの信仰を励ましました。

信仰にとどまって神の国に入るまでには、多くの苦難を経なければなりません。パウロは、命を失うかもしれないという苦しみを数多く経験しました(2コリント11:24252テモテ3:11)。教会のことを思うが故の、苦しみもありました(2コリント11:28)。何よりも、自らの内面における葛藤、信仰者故の苦しみを生涯持ち続けました(ローマ7:24)。之は現代の私たちの苦しみとも、言えます。

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

この地方に送ったと思われるガラテヤ人への手紙は、信仰から離れてしまった弟子たちを嘆き、気遣い、信仰にとどまることを願って書かれた書簡です。私たちにも、突然起こる苦難や、自分の中にある信仰の葛藤があります。果たして神の国に入るまで信仰を全うできるのか、まことに心許ないものを感じます。それゆえ、イエス様のみ言葉に心を留めて、新しい週も歩んで参りましょう。

ヘブル12:2 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

2012.6.17(水無月) NO.369 

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