フォト
無料ブログはココログ

« 来ました!金星~太陽のほくろ? | トップページ | オオタカ出現 »

2012年6月10日 (日)

癒やされる信仰とは

生ける神に立ち返れ 使徒14:8-18

反感を持ったユダヤ人たちを逃れて、パウロとバルナバはイコニオムから40キロほど西にあるルステラにやってきました。そこに、生まれつき足の不自由な男の人がいました。彼はパウロの語る言葉に耳を傾けていましたが、パウロの言葉によってその不自由な足が癒やされるという出来事が起こりました。この男には「いやされる信仰」があったのです。

9節の「耳を傾けていた」とは、全身を耳にして聞いている、パウロの語る言葉を一言も漏らさず聞いていた、というニュアンスがあります。ここに、この男の信仰を見ることができます。福音書にも、イエス様がその人の信仰の故に癒やしのわざをされたことが記されています。4人の人に連れられてきた中風の人(マルコ2:5)、長血を患っていた女性(マルコ5:28)、罪深い女の癒やし(ルカ7:50)などです。そしてこれらの物語は、体の癒やしよりもその人自身が癒やされること、すなわち、罪が赦されて神様との交わりを回復しその人らしく生きるものとされた事を示しています。私の父は、幼い頃から片足が不自由でした。60歳を過ぎてイエス様を信じる者とされましたが、その足は癒やされませんでした。しかし幸いな晩年を過ごすことができ、今年召されました。信仰の故に生ける神に立ち返り、天国の希望を持って、生涯を全うできたのです。

この出来事を見た人々は、まるで二人が神々の姿を取って降臨した特別な人たちだと感激してしまいました。そして彼らを神としてあがめ、牛を引いてきて生け贄として捧げようとしたのです。この地方の習慣であったのかもしれません。ふたりは、自分たちは彼らと同じ人間であり、むなしい偶像礼拝から生ける神に立ち返るよう伝える者であると、人々を説得しました。ヘルメスとは、神々の使者、メッセンジャーのことで、ルステラの人々は、パウロが説教をする人だったので、このように呼んだのでしょう。彼はそのことを受け止め、「私は生ける神に立ち返るよう人々に福音語っているメッセンジャーである!」と言ったわけです。彼の語った説教は、即興だったでしょうが、ルステラにいる異邦人たちの理解できるところから初めて、天地を造られた真の神がおられ、この方に立ち返ることがむなしい生き方から解放される道であることを伝えたのでした。

パウロは、自分は神や天使ではなく、皆さんと同じ人間であると言いました。メッセージを語る者は、聞き手と同じところに立たなくてはなりません。実に、私たちの主は、人としてお生まれになって生涯を送り、十字架で処刑されるという、人として最も低いところにまで下ってくださったのです(ピリピ2:6-11)。それ故、このイエスの言葉をあの足の不自由であった男のように希望を持って聞く者は、生ける神に立ち返る幸いな生涯を送ることができるのです。

ヘブル9:13 

まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。

« 来ました!金星~太陽のほくろ? | トップページ | オオタカ出現 »

礼拝メッセージ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 癒やされる信仰とは:

« 来ました!金星~太陽のほくろ? | トップページ | オオタカ出現 »