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2012年7月15日 (日)

喜ぶこと

共に喜ぶ 使徒15:15

どの世界でも、問題が起きるとその解決を図るために関係者が集まり、お互いに協議するということが起こると思います。使徒15章は、キリスト教会最初の教会会議と言える出来事が記されている、歴史的な箇所と言えるでしょう。

ユダヤ人だけでなく、異邦人も救われ、キリスト者の交わりが地中海世界のいろいろな地域に生まれてきました。パウロとバルナバによる伝道の旅が祝福され、アンテオケではその報告が喜びを持ってなされていました。そんなときに、ヤコブの元からと思われるユダヤ人(ガラテヤ2:12)がアンテオケにやってきて、異邦人であってもユダヤ人のように律法を守り、割礼を受けなくては救われないと教えたのです。これは、パウロたちが教えてきたこととは異なる教えであり、お互いの対立の火種となり、少なからぬ論争が起きたのです。このことの解決のために、パウロとバルナバはエルサレム教会に行くこととなり、白熱した議論が交わされることとなります。その結果については15:2229に記されているように、お互いに受け入れられるものとなりました。

ここで起こった問題は、この当時の世界における哲学的問題としては「特殊」と「普遍」にかかわることであり、キリスト教においては、「律法」と「福音」の理解の問題でした。ユダヤ人という特殊な人種だけでなく、異邦人と呼ばれるすべての人が救われると言うこと、また、立法を行うことによって救われるのではなく、イエスキリストを信じる信仰によって救われることこそが福音であるということです。それは、キリスト教2000年の歴史の中で、絶えず問われてきたテーマでもあったのです。

このような問題の解決のために、お互いが集まったと言うことは、評価されるべきです。意見が違うために、話し合うこともしない、会うこともないというのでは、解決に向かって一歩も進めることができません。また、問題の解決のために、そもそも律法とは何か、福音とは何かと言うことを改めて確認したことも、評価されます。

律法の中心は、イエス様がおっしゃったように、神さまを愛し、自分と同じように隣人を愛することです(マタイ22:3639)。又割礼は外面的な儀式ですが、大切なのは心に割礼を受けることです(エレミヤ4:4、ガラテヤ5:6)。何よりも、一人の人が悔い改め救われることは、大きな喜びであり共に喜ぶことをイエス様は教えられました(ルカ15:69)

意見の違いから大きな対立が起きるのは、お互いが喜ぶことを忘れたからです。神さまのしてくださったみわざを共に喜ぶことができれば、小さな違いを超えた大きな祝福をいただくことができるでしょう。

ローマ12:15

喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。

2012.7.15(文月) NO.371 

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