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2012年8月

2012年8月27日 (月)

子どもは芸術だ!

8月19~21日に行われた、小学生1~6年までのCS合同キャンプ。MIA(ミッション・イン・アスナロ)の最後のミッションでは、似顔絵を描いてくれました。私の独断で、作品をアップしましたので、ご覧ください。

MIA→「MIA.pdf」をダウンロード

子どもたちはすばらしい芸術家ですね!

2012年8月26日 (日)

早く涼しくな~れ

礼拝堂には、二人の姉妹が交代でお花を生けてくださっています。立秋をとっくに過ぎているのですが、暑さの厳しい日が続いています。残暑ではなく、いまが旬の暑さのような感じです。

そんなとき、生けられた花は、盛夏ではなく「聖花」となりますね。秋の涼しさに思いをはせ、ほっと一息つけるお花でありました。

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救われるために何を

信心と救い 使徒16:16-40

本日の聖書箇所でよく知られているみ言葉は、31節の「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」というパウロの言葉でしょう。この聖句によってイエス様を信じた人、また家族や親族の救いのためにお祈りしている人もあることと思います。

マケドニア州第1の町ピリピに入ったパウロとバルナバは、アジアを経てヨーロッパに福音を伝える事となりました。ここでは、紫布の商人ルデヤが救われ、家の教会となりました(40)。又占いの霊につかれていた若い女奴隷がその苦しみから解放されました。しかしこの出来事により、彼女を使って金儲けをしていた主人たちの訴えにより、二人はピリピの牢獄に捕らえられてしまったのです。

今日でも、さもありそうな怖い話をしたり、心霊スポットがあるなどと言って人々の恐怖心をあおる雑誌や番組があるように思います。いつの時代にも、人の弱みにつけ込んで利得を得る人たちがいたのです。私の母の祖母はお寺に嫁いだ人でしたが、「死んだ者なんかちっとも怖くない、生きている者こそ恐ろしい」と言ったそうですが、まさにその通りだと思います。

さて、牢獄に捕らえられた二人は、鞭で打たれた体をいたわりながら、獄中にあっても祈りつつ賛美をしていました。他の囚人たちはそれを聞き、慰めを得たことでしょう。ところが突然地震が起こって壁つながれていた鎖が取れ、獄舎の扉も開いてしまったのです。囚人が逃げてしまったと思った看守はパニック状態になり、自害しようとしたのです。パウロは看守を制止したのそのとき、彼は「先生方、救われるためには、何をしなくてはなりませんか。」と必死の思いで問いました。それに対する答えが、先に記したみ言葉です。

このときの看守は、囚人たちが逃げてしまったと思っていたので、このような災難から逃れる方法を聞いたのでしょう。しかし彼の問いは、すべての人たちが追い求める人間の罪からの救いを問うた言葉です。それに対するパウロの答えは、イエスを信じる者はだれでも罪が赦され、その苦しみから解放される事を告げたのです。

南無阿弥陀仏の六文字は、阿弥陀様への信心を表すものです。難行苦行ではなく、ひたすら弥陀の本願にすがる絶対他力の道だと言われています。これにたとえて言えば、16:31は「南無イエスキリスト」ということでしょうか。自分の罪を悔い改め、イエス様に帰命する、すべてをお任せするということです。同じように見えますがその大きな違いは、イエスキリストの十字架と復活は歴史の中の事実であり、救いの実体がここにあるということです。他の人がどのように評価しようとも、イエス様への信心は、どんな人をも救いに導くのです。

1コリント1:18

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

2012.8.26(葉月) NO.375

2012年8月19日 (日)

パウロは妥協したのか?

福音の恵み 使徒16:1-15

先週は、オリンピック放送に釘付けになって寝不足になった人たちが多かったのではないかと思います。アスリートへのインタビューでよく聞いた言葉に「楽しんで試合に臨みたい」「残念な結果ではあったけれど、世界の舞台で楽しむことができた」と言うことがありました。幾多の苦しみを経てここまで来たのだから、自分らしくのびのびと自由にがんばりたいということだと思います。

バルナバと別れたパウロは、第1回の伝道旅行で訪れた小アジアの町々を、アンテオケから逆のルートで回るたびに出かけました。ルステラという町で、パウロに導かれたテモテと再開し、彼を伝道のパートナーとして連れて行きたいと思い、彼に割礼を施した事が記されています。このテモテは、母親はユニケ、祖母はルイスといって、共にキリスト信者であり敬虔な信仰を持っていたことが「テモテへの手紙」からわかります。彼はこの地方で評判のいい若者でしたが、父親はギリシャ人でした。つまり、テモテはユダヤ人とギリシャ人の混血児として生まれたのでした。

今の時代は、ある人がハーフであると言うことは、あまり問題にならないと思います。それでも、人の心にあるコンプレックスや偏見などによって、トラブルが起きるかもしれません。この時代は、特に熱心なユダヤ教徒にとっては、ユダヤ人以外の血が混ざっていることはあまり良いことではありませんでした。そんな時代背景の中で、パウロはテモテに割礼を受けさせたのです。もちろん、パウロはエルサレムでの決定事項を知っており、それを伝えるために教会を訪ねたのですから、その彼がテモテに割礼を受けさせるとはどういうことかといぶかる人がいるでしょう。新改訳では「ユダヤ人の手前」と訳されていますが、その意味はユダヤ人キリスト者のために、ということです。救いのために割礼を受ける必要は無いのですが、異邦人の信者だけでなく、当時の離散していたユダヤ人の信者に対して配慮して割礼を施したのです。まさに、ユダヤ人にはユダヤ人のようになった(1コリント9:20)のです。それはまた、テモテのこれからの働きに対する、パウロの思いやりから出たことでもありました。そして彼は、その愛に応えて教会の指導者として成長していくのです。

パウロはさらに旅を続けたかったのですが、聖霊に禁じられ、幻に現れたマケドニア人の叫びの声を聞いて、小アジアからヨーロッパに渡ることになります。そこで、ピリピやコリントに教会が誕生します。人の計画ではなく、神さまの御心が実現するのです(箴言19:21)。パウロは、自分の計画には固執しませんでした。いつも神の御心を第1とし、聖霊に導かれることを求めたのです。そのためには、テモテに割礼を受けさせたように、自由に振る舞ったのでした。そのことにより、パウロ自身も伝道の旅を楽しみ、福音の恵みに共に浴することができたのです。

1コリント9:23

私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。

2012.8.19(葉月) NO.375

2012年8月15日 (水)

キリスト者的お盆の過ごし方

8月13~15日は、お盆の季節。今年父が亡くなったことで、いわゆる新盆にあたります。この季節の帰省は、牧師になってから初めてではないかと思います。弟のお嫁さんもお父さんを亡くされ、何かの形でその悼みを覚え、哀悼を表したいと思っていました。

上越について、まずは母の実家を訪ねて参りました。お盆の時期なので、檀家さんが次々に墓参りに来ておられました。私の実家では、すでに遺影やお花が飾られており、母がよく面倒を見ていた従兄弟のMさんがお供物を持ってきてくれていました。弟の帰りを待って居間に集合し、詩篇23篇を家内に読んでもらって花を手向け、祈りを捧げました。

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翌日は家の作業をした後に赤倉温泉に一泊。かわいらしいペンションに泊まりましたが、やはりここは「赤倉観光ホテル」に行かなくては、というわけで家内と一緒に行って参りました。妙高山の麓の広大な敷地に、およそ70年前に建てられたこのホテルは、赤い屋根が目印。緑の大地との色合いが印象的な建物です。敷地内には、六角堂があり、岡倉天心終焉の地として知られています。リニューアルされた天空水上テラスからは長野県を臨み、ナウマン象の化石が出る野尻湖も見えました。

野尻湖には、三浦綾子氏の「氷点」にも出てくる洞爺丸台風で犠牲的な死をとげたストーン宣教師の記念碑があります。ストーン師は、長野、新潟で、将来の日本を築く若者に農業を教えると共に、み言葉も語り、洗礼を受ける方も起こされるという尊い働きをされたのでした。

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帰りには、子どもの頃夏休みには欠かさず行っていた母方の祖母の実家(当主は私の従兄弟に当たる方)に立ち寄り、近くのお寺さんが唱える親鸞さんの勤行集を聞きつつ、仏壇の前に座らせていただきました。その後は、昔の話しをいろいろ聞かせいていただき、楽しいひとときを過ごすことができました。

仏教、特に浄土真宗の教えが根付いている上越で、親を思い、かつ天国に思いを向ける帰省となりました。

2012年8月 8日 (水)

わんぱくキャンプ

今年も、低学年のお友達が、丘の上に1泊のキャンプにやってきました。聖書のお話しを学ぶとともに、夜はHさんが大切に育てている蛍を見せていただきました。お土産に、風船ヨーヨーをいただき、子どもたちは大喜びでした。

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翌日は、わくわく科学クラブの皆さんが来てくださり、シャボン玉遊び。理科系の私としては、シャボン玉のお話しを持って聞きたいと事でしたが、とにかく楽しみました。人間がすっぽり入るジャンボシャボン玉の後は、復活の庭でいろいろなシャボン玉遊び。これには、子どもたちがだけでなく、スタッフも大興奮。不思議の魅力が、シャボン玉にはありますね。

蛍もシャボン玉もはかない命を表しています。そこに、私たちは何か惹かれるものがあるのでしょう。屋根を越えて、十字架をも超えて天に昇っていくシャボン玉を見ながら、はかない私たちのために天国を用意してくださっているイエス様のあわれみを感じました。そして、夢を見ることもできます。

わんぱくのテーマ聖句は、命を与えてくださるイエス様です。聖書の学びと共に、蛍鑑賞とシャボン玉遊びは、永遠の命につながるイエス様を覚える教材ともなりました。協力してくださった方々に感謝です。

2012年8月 5日 (日)

すべてのことを益とする

波乱の船出 使徒15:35-41

本日の箇所より、パウロによる第2回伝道旅行に入ります。今年の元旦礼拝の説教題は「新しい船出」というものでしたが、この伝道旅行の船出は波乱に満ちたものとなりました。伝道のパートナーであったパウロとバルナバが激しい反目となり、それぞれ別のルートで出かけることになったからです。

アンテオケにしばらく滞在していたパウロは、小アジアの教会の信者たちを訪ねることをバルナバに提案しました。名前の書き方の順番が変わり、これからはパウロの働きが中心になっていきます。信者の信仰が励まされるのは、以前も学んだように、互いに集まり顔を合わせる交わりによってなされます(ヘブル10:2425)。それは今も変わらないことでしょう。

ところがバルナバがマルコを連れて行くことを提案したために、二人の間に激しい反目が生まれてしまいました。かつてマルコは、二人の伝道について行きましたが、途中で帰ってしまったということがありました(使徒13:13)。パウロから見ると、このようなことは任務の放棄であり、伝道者としては失格者なのです。確かに、与えられた任務をどんな理由にせよ放棄してしまうことは、良いことではありません。何とかしてやり遂げるために、自らを鼓舞してその働きに邁進することは大切なことです(1コリント9:27)。パウロの厳しさが表されています。それに対してバルナバは、若いマルコにもう一度チャンスを与え、伝道旅行を助けてもらうというよりは、彼を再訓練しようと思ったのではないでしょうか。その名前の通り、バルナバが慰めの子であったところから来た提案でした。

同行者を誰にするかという問題について、互いに譲りませんでした。伝道旅行に賭ける、二人の思いの熱さを感じるところです。結果として、二人は別れ、バルナバはマルコを連れてキプロスへ、パウロはシラスを連れて小アジアへの出発しました。どちらも伝道の旅を取りやめることはしなかったのです。そしてその後の様子を見ると、マルコの働きはパウロにも評価されるところとなり、この激しい反目は解消され、二人は互いに和解していったことがわかります。最晩年のテモテの手紙には、マルコはパウロにとって「私の務めのために役に立つ」ものとなっていったのです(2テモテ4:11)。波乱の船出でしたが、祝福された伝道の旅となったのです。

キリスト教2000年の歴史は、まさに多くの教派が生まれた歴史です。必ずしも教理が違うので分かれたのではなく、人間関係を巡って分かれたこともあったでしょう。分裂分派の歴史であっても、福音があらゆる仕方がで述べ伝えられ、人が救われているなら、そこに喜びがあります。根本は、変わらないからです。

波乱の船出をしたパウロは、実際様々な苦難を経験しました。しかし彼の喜びは、福音が宣べ伝えられていることだったのです。

ピリピ1:18 すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。

春日部福音自由教会 山田豊

2012年8月 3日 (金)

利休のわび茶~その2

市民文化講座第2回が9月に行われます。今回のゲストは、増村紀一郎先生。春日部親善大使でもある先生は、なんと漆の人間国宝でもいらっしゃるんですよ。

乞うご期待!

市民文化講座第2回→「2.pdf」をダウンロード

市民文化講座第1回が行われました

去る7月25日、市民講座第1回が開催され、小さな会議室は満室となりました。

市民活動センターのページにアップされておりますので、どうぞご覧ください。尾堤宏さんのお話は、目からうろこのお茶の秘密が語られ、大変興味深いものでした。高橋先生の話には、わび茶の謎が深まり、制限時間を過ぎてしまって、大急ぎで撤収となりました。

次回は9月26日です。時間を十分取りましたので、質疑応答も大丈夫!

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