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2012年8月26日 (日)

救われるために何を

信心と救い 使徒16:16-40

本日の聖書箇所でよく知られているみ言葉は、31節の「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」というパウロの言葉でしょう。この聖句によってイエス様を信じた人、また家族や親族の救いのためにお祈りしている人もあることと思います。

マケドニア州第1の町ピリピに入ったパウロとバルナバは、アジアを経てヨーロッパに福音を伝える事となりました。ここでは、紫布の商人ルデヤが救われ、家の教会となりました(40)。又占いの霊につかれていた若い女奴隷がその苦しみから解放されました。しかしこの出来事により、彼女を使って金儲けをしていた主人たちの訴えにより、二人はピリピの牢獄に捕らえられてしまったのです。

今日でも、さもありそうな怖い話をしたり、心霊スポットがあるなどと言って人々の恐怖心をあおる雑誌や番組があるように思います。いつの時代にも、人の弱みにつけ込んで利得を得る人たちがいたのです。私の母の祖母はお寺に嫁いだ人でしたが、「死んだ者なんかちっとも怖くない、生きている者こそ恐ろしい」と言ったそうですが、まさにその通りだと思います。

さて、牢獄に捕らえられた二人は、鞭で打たれた体をいたわりながら、獄中にあっても祈りつつ賛美をしていました。他の囚人たちはそれを聞き、慰めを得たことでしょう。ところが突然地震が起こって壁つながれていた鎖が取れ、獄舎の扉も開いてしまったのです。囚人が逃げてしまったと思った看守はパニック状態になり、自害しようとしたのです。パウロは看守を制止したのそのとき、彼は「先生方、救われるためには、何をしなくてはなりませんか。」と必死の思いで問いました。それに対する答えが、先に記したみ言葉です。

このときの看守は、囚人たちが逃げてしまったと思っていたので、このような災難から逃れる方法を聞いたのでしょう。しかし彼の問いは、すべての人たちが追い求める人間の罪からの救いを問うた言葉です。それに対するパウロの答えは、イエスを信じる者はだれでも罪が赦され、その苦しみから解放される事を告げたのです。

南無阿弥陀仏の六文字は、阿弥陀様への信心を表すものです。難行苦行ではなく、ひたすら弥陀の本願にすがる絶対他力の道だと言われています。これにたとえて言えば、16:31は「南無イエスキリスト」ということでしょうか。自分の罪を悔い改め、イエス様に帰命する、すべてをお任せするということです。同じように見えますがその大きな違いは、イエスキリストの十字架と復活は歴史の中の事実であり、救いの実体がここにあるということです。他の人がどのように評価しようとも、イエス様への信心は、どんな人をも救いに導くのです。

1コリント1:18

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

2012.8.26(葉月) NO.375

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