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2012年8月19日 (日)

パウロは妥協したのか?

福音の恵み 使徒16:1-15

先週は、オリンピック放送に釘付けになって寝不足になった人たちが多かったのではないかと思います。アスリートへのインタビューでよく聞いた言葉に「楽しんで試合に臨みたい」「残念な結果ではあったけれど、世界の舞台で楽しむことができた」と言うことがありました。幾多の苦しみを経てここまで来たのだから、自分らしくのびのびと自由にがんばりたいということだと思います。

バルナバと別れたパウロは、第1回の伝道旅行で訪れた小アジアの町々を、アンテオケから逆のルートで回るたびに出かけました。ルステラという町で、パウロに導かれたテモテと再開し、彼を伝道のパートナーとして連れて行きたいと思い、彼に割礼を施した事が記されています。このテモテは、母親はユニケ、祖母はルイスといって、共にキリスト信者であり敬虔な信仰を持っていたことが「テモテへの手紙」からわかります。彼はこの地方で評判のいい若者でしたが、父親はギリシャ人でした。つまり、テモテはユダヤ人とギリシャ人の混血児として生まれたのでした。

今の時代は、ある人がハーフであると言うことは、あまり問題にならないと思います。それでも、人の心にあるコンプレックスや偏見などによって、トラブルが起きるかもしれません。この時代は、特に熱心なユダヤ教徒にとっては、ユダヤ人以外の血が混ざっていることはあまり良いことではありませんでした。そんな時代背景の中で、パウロはテモテに割礼を受けさせたのです。もちろん、パウロはエルサレムでの決定事項を知っており、それを伝えるために教会を訪ねたのですから、その彼がテモテに割礼を受けさせるとはどういうことかといぶかる人がいるでしょう。新改訳では「ユダヤ人の手前」と訳されていますが、その意味はユダヤ人キリスト者のために、ということです。救いのために割礼を受ける必要は無いのですが、異邦人の信者だけでなく、当時の離散していたユダヤ人の信者に対して配慮して割礼を施したのです。まさに、ユダヤ人にはユダヤ人のようになった(1コリント9:20)のです。それはまた、テモテのこれからの働きに対する、パウロの思いやりから出たことでもありました。そして彼は、その愛に応えて教会の指導者として成長していくのです。

パウロはさらに旅を続けたかったのですが、聖霊に禁じられ、幻に現れたマケドニア人の叫びの声を聞いて、小アジアからヨーロッパに渡ることになります。そこで、ピリピやコリントに教会が誕生します。人の計画ではなく、神さまの御心が実現するのです(箴言19:21)。パウロは、自分の計画には固執しませんでした。いつも神の御心を第1とし、聖霊に導かれることを求めたのです。そのためには、テモテに割礼を受けさせたように、自由に振る舞ったのでした。そのことにより、パウロ自身も伝道の旅を楽しみ、福音の恵みに共に浴することができたのです。

1コリント9:23

私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。

2012.8.19(葉月) NO.375

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