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2012年9月 9日 (日)

日本人は強い信仰を持っている?

宗教心にあつくても 使徒17:16-34

騒ぎを起こしたユダヤ人を避け、アテネに渡ったパウロはシラスとても手の来るのを待っていました。その彼の目に入ってきたのは、町の中に立つ神々の像でありそれらを奉っている神殿や祭壇でした。心に義憤をいただきながら、パウロは会堂や広場でそこに居合わせた人たち論じました。

かつてアテネはソクラテスを初めとする有名な哲学者を出した町であり、芸術スポーツにおいても優れた町でした。しかしこの当時はローマ帝国の属州の町となり、かつての反映から比べると衰退していたといわれます。とはいえ、町の広場にはエピクロス派とストア派の哲学者がおり、パウロと論じあっていました。アテネの人たちは耳新しいことを話したり聞いたりすることで日を過ごしていたらしく、パウロの語ることは外国か新しい神々の話しだと思っていました。かつてザビエルがキリスト教の宣教師として布教を始めたころ、通訳が聖書の神を「ダイニチ」と訳したために、彼の話を聞いた人たちは仏教の新しい宗派の話しだと勘違いし、その教えに耳を傾けたそうです。

パウロの廻りに集まった人たちは確かに語ることに興味を持っていたでしょうが、果たして求道心があったのでしょうか?しかしパウロは、彼らが「宗教心にあつい人たち」であるといい、彼らが「知られない神に」と刻まれた祭壇のある事を知って、口を開くのです。いわば、人々の今あるところから説教を始めた、福音を伝えたと言えるでしょう。使徒17にあるパウロの説教は、今日にも適応できる優れたものだと思います。その始まり、イントロはまさに聴衆の心や関心を掴むものでした。

確かに、ギリシャ人は多くの神々を奉り、彼らの生活に神々の存在は欠かせませんでした。それ故、パウロの目から見て、アテネの人たちは宗教心のあつい人であると映ったのでした。日本人は、宗教心(信仰心)にあついと言えるでしょうか。私たちの国においては、その評価が分かれると思いますが、外国から見ると日本人は宗教心にあついとは思われていないようです。2008年の米ギャラップ社の世論調査によると、「信仰心の強さ、日本は143カ国中136位」だったとのことです。日本人の信仰は、祖先崇拝や偉大な力を持つものへの畏敬の念、自然界にあるすべてのものに神々()が宿っていると信じる心が基礎になっているように思います。宗教心のとらえ方が、そもそも外国の人とは違うわけです。

宗教心とは、人から発して神を求める人間の思いです。しかし、人から神さまへ向かうだけでは、天地を造られ、人となられた神であるイエスキリストを知ることはできません。宗教心のあることをわきまえつつ、神が示してくださったイエスキリストと、その方の記されている聖書が、私たちを救いに導いてくれるのです。

1コリント1:21  事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。

春日部福音自由教会 山田豊

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