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2012年10月27日 (土)

実は、積極的な生き方なのです。

神のみこころなら 使徒18:12-23

伝道をともにするする信徒や同労者が与えられ、イエス様に勇気づけられたコリントでの働きによって、救われる人たちが起こされ,教会が建てあげられるほどになりました。しかしここでもまた、ユダヤ人から妨害を受けました。彼らは,パウロが律法に背いて神を拝むことを教えていると、当時の地方総督ガリオに訴えたのです。この世の権威に訴えて,パウロの働きを止めさせようという,魂胆だったのでしょう。

ガリオは哲学者セネカの兄で、法廷は町の中心にありました。現在は,石田畳の階段が遺跡として残っているそうです。彼の裁定は、一言で言えば門前払いです。ユダヤ人の訴えていることは自分たちの宗教に関わることであり、ローマ法に照らして裁きをすることではない,という判断をしたわけです。この裁定は,結果としてパウロの伝道を容認するものであり、幻の中で主が語られた「だれもあなたを襲って危害を加える者はいない」ということばが、このような形で実現したと言えます。ユダヤ人はこのことの腹いせでしょうか、会堂管理者ソステネを捕らえて打ちたたくことしかできませんでした。結果として、ネロ帝によるキリスト教との迫害の時代まで約12年間、ローマ帝国内においてはキリスト信仰が容認されることとなったのです。

聖書には、この世の権威の象徴として、いろいろな人物を登場させています。イエスの誕生時の王は、ヘロデでした(マタイ2:1)。この世は,イエスの誕生を喜ばなかったことを暗示しています。またイエス様は、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」と言われ、この世でのキリスト者の行動基準を示されました(マタイ22:21)。そして、イエスを裁いた時の王はピラトであり、正しいことを知っていても保身のためにイエスを十字架につけることを許した人物として描いています(マタイ27:24)

私たちも、この時代に生きている者として、現在の政治、経済、教育などの様々な影響を受けます。「クリスチャンは中立でありなさい」と言われても、それは無理なことです。そのような中で生きる指針は、神の御心を第一とすることです。パウロは、ケンクレアでは何かの誓願を立てていたので、その成就のしるしとして髪を剃りました。之までの伝道の感謝とともに、新しいことへの決意表明でもあったと思います。エルサレム着いたとき、剃った髪を祭壇で焼き、感謝の捧げものをしたのでしょう。

また、エペソでは、あれほど尋ねたかった町であるにもかかわらず、人々の長くとどまって欲しいとの願いを退け、彼らに別れを告げました。しかしその時「神のみこころなら、また、あなた方の所に帰ってきます」と言ったのです。後に、彼のこのことばは現実のものとなり、パウロの伝道旅行で最も激しく偶像と対決した事件が起きるのです。この時の短い滞在は、後の伝道への備えとなったのだと思います。パウロの行動には、すべて意味があったからです。

神のみこころなら、それが最善の事柄となるのです。あらためて、今年度のみ言葉を覚え、お互いの生活の中に神の御心を求めてまいりましょう。

「神の国とその義をまず第一に求めなさい」マタイ6:30

2012.10.28(神無月) NO.381

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