フォト
無料ブログはココログ

« 返事をしない牧師さん | トップページ | 実は、積極的な生き方なのです。 »

2012年10月21日 (日)

ともにいる

弱さの中でも 使徒18:1-11

エペソからコリントに渡ったパウロは、恐れおののいていました。今日では聖人と呼ばれ、すばらしい働きをしたパウロでしたが、私たちと同じような弱さがあったことを、正直に告白しているのです(1コリント2:3)

しかしこのようなパウロは勇気づけられ、励まされて1年半コリントに腰を据えて伝道できたのです。その秘訣は「ともにいる」というキーワードにあると思います。

パウロが初めてコリントで出会ったキリスト者は、アクラとプリスキラというユダヤ人夫婦でした。彼らは天幕作りの職人で、後に初代教会においてパウロたちの伝道を支える大切な信徒となります。パウロも同業者であったので、彼らとともに仕事をして生活の糧を得、その一方で会堂に入ってユダヤ人に福音を宣べ伝えました。信徒が心を合わせてともにいてくれることは、力となりました。

そのうちに、シラスとテモテがやってきました。彼らは諸教会からの献金を持ってきたので、パウロはみ言葉を伝えることに専念できるようになりました。そのために、ユダヤ人からは暴言を受けましたが、会堂を出て異邦人に福音を伝える契機ともなりました。しかし移った先が会堂の隣の敬虔な信者の家であり、会堂管理者も回心するというすばらしいことが起きたのです。同労者の存在は、彼の伝道の働きを大いに助けたのでした。

このような成果を上げたパウロでしたが、その心の内には恐れがあり、弱さを感じていました。そのパウロに、主は幻の中であらわれ言葉を掛けられるのです。「恐れるな、わたしはあなたとともにいる!」主がともにいてくださること、之が私たちにとって、究極の慰めであり励ましです。

私たちが弱さや恐れを感じるのは、ひとりぼっちであるとき、孤独であるときでしょう。究極的な孤独は、人が死に臨んだときです。文字通り誰も自分の周りにいない状況、あるいは、家族がそこにいてももはや何の交流もできない状況は、私たちにとって一人ぼっちである寂しさの極みでしょう。しかし、その時に、主がともにいてくださることを知るのです。あなたが独りになったと感じるとき、そこに主がいてくださることを知るのです。

5節の「専念する」ということばは、苦しむ、ひしめき合うという意味を持っています。そしてこのことばは、弱さの中にキリストの姿を現すことばとしてパウロが用いているのです。それはキリストの愛が私たちを「取り囲んでいる、押し迫っている」ということです。弱さの中にある私たちを力づけるのは、あなたに迫っている主の愛に他ならないのです。

弱さを感じたパウロを力づけたのは、彼を助ける信徒や同労者がともにいてくれたこと、なによりも主がともにいてくださったことでした。

というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。2コリント5:14

2012.10.21(神無月) NO.380

« 返事をしない牧師さん | トップページ | 実は、積極的な生き方なのです。 »

礼拝メッセージ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ともにいる:

« 返事をしない牧師さん | トップページ | 実は、積極的な生き方なのです。 »