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2012年11月11日 (日)

人生への新しい扉~イエスの招き

新しい人生への扉 ルカ19:1-10

本日の聖書箇所に出てくるザアカイという人は、都エルサレムに近いエリコという歴史のある町に住んでおり、取税人の頭で金持ちでした。税務署の署長さんというところでしょうか。しかしその財産は不正をして得た物であったらしく、彼を罪人呼ばわりする人がいるほど、周りからの評判は良くなかったようです。イエス様が来るのを知ってそのお姿を見ようとしたのですが、「背が低かった」ので見ることができなかったとわざわざ容姿のことが書いてあります。之は彼のコンプレックスを示唆しているようにも思われます。しかしイチジク桑の木に登ることができたので、運動神経は良かったようですね。人は誰でも、得て不得手があるものです。

そんなザアカイにイエス様が声を掛けられ、彼のところ行って客となられました。おそらく、ザアカイは精一杯イエス様を迎え、食事のもてなしをしたのでしょう。そしてイエス様との交わりを通して神様のことばを聞き、自分の不正を告白してそれをわび、他の人のために施しをする人間へと変えられました。イエスを迎えることによって、ザアカイの新しい人生への扉が開かれたのです。

この物語がおもしろいのは、ここで主客が入れ替わっていることです。すなわち、客として招かれたイエス様が主人となり、ザアカイが客となってイエス様にもてなされているのです。すなわち、主イエスは彼を神様の子どもとしてお救いになり、天国への道を開いて下さったということなのです。立派な地位もあり財産もある、歴史の町に住んでいて人生を横臥しているように見えたザアカイは、誰も尋ねてくれる人のいない孤独な人であり、不正を働いた財産で生きている負い目のあることを、彼自身が一番よく知っていたからです。

しかし自分の家の扉を開き、イエスを迎えたところから、彼の人生は変わったのです。

19世紀の画家ウイリアム・ハントによって描かれた「世の光」という作品があります。ツタや茨で覆われた扉をノックしているイエスは、左手に明かりを持っています。中の人を明るく照らしてあげようとしています。しかしこの扉の外には取っ手がありません。扉を開けることができるのは中の人、すなわち私たちなのです。イエスは無理に人の心に入ろうとはなさいません。しかしその扉を開ける人には、イエス様がお入りになって私たちの新し主人となり、天国まで続く愛と希望に満ちた生涯を導いて下さるのです。

今朝イエス様が尋ねて下さっている声に、お応えしようではありませんか。

黙示録3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

2012.11.11(霜月) NO.383 

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