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2012年12月

2012年12月31日 (月)

良い新年を!

今年も残るところあと数時間、しかし自分は特段普段と変わりない気持ちがしています。もちろん、新年の礼拝とお茶会の準備はしております。

今年の降誕祭は、一つ一つのプログラムが私にとってはとても居心地の良いものであり、主イエス様のおられることを自分なりに感じることが出来ました。12月1日のコンサートのことはブログにアップしましたが、理科大OBの方との出会いがありました。合同婦人会では、おもてなしの心をイエス様の降誕に合わせてお話しさせていただきました。丘の上の礼拝、子供クリスマス会には新来者もあり、イエス様を心にお迎えする幸いを覚えました。

婦人クリスマスでは素敵はキャンドル立てができあがり、老人ホーム訪問は2件となって件数は減ったのですが、子供達の歌や賛美、そして入所しておられる方々とのふれあいは、ものすごく暖かいものでした。特に、良く教会に来てくださるNさんが一人の一人の子供の手を取って、ふさわしい言葉を掛けてくれたのには驚くとともに、うれしい気持ちにさせられました。25日の静かな降誕祭は、暖炉を囲んでともに分かち合い、賛美と祈りでひとときを過ごすことが出来ました。

昨日は、今年最後のふれサンでしたが、若い夫婦が初めて来会されました。夫人は日本人ですが、ご主人はインドの方。二人がイエス様の救いに導かれた証しを伺わせていただき、神様のみわざを賛美いたしました。ご主人がうちの子供が行ったインドのケララ州生まれということで、親しみを感じました。元旦礼拝にも来てくださると、うれしいですね。

あと数時間で、2013年です。新しい年を、主にあって迎えられ、祝福された一年となりますように。おつきあいいただき、ありがとうございました。

2012年12月30日 (日)

無常を感じてもなお

まことを献げる マタイ2:-12      

本年最後の礼拝となりました。どの家でも大掃除をしてすがすがしい気持ちで新年を迎えようとするように、み言葉によって私たちを清めていただき、新しい年に望を置きたいと思います。

今年の大河ドラマの最終回には、西行が登場して歌を詠み、平家物語の最初が奏でられました。平清盛が生きた時代は、方丈記を著した鴨長明がおり、仏教の世界では念仏を説く法然、親鸞のいたときです。日本人の中にある「無常」がいろいろな形を取って現れてきた時代を描きたかったのでしょうか。

イエスキリストの降誕物語は、マタイの福音書にも描かれています。こちらは、東方の博士たちがヘロデの宮殿を訪れます。そして幼子イエスにまみえて、宝物を献げ、礼拝をし帰って行くという物語です。ルカの福音書に描かれている救い主の降誕とは、対照的な描き方になっています。お茶会にたとえれば、ルカが描くのは草菴で営まれるわびたお茶会、マタイの福音書では広間で行われるきらびやかな茶会といったイメージでしょうか。まさに、イエスの誕生にわびさびを感じる物語です。

聖書では東の地といえば、今でいうアラビア地方を指す言葉だと思います。しかしこれは、流浪の地、無常の世界を象徴的に表す言葉と私は感じます。イエス様がお生まれになった時代は、預言者の言葉が400年あまりも聞かれず、神殿は壊されており、ユダヤ人の歓心を買うためにヘロデがその再建に着手した時代です。ローマによる平和がありましたが、ヘロデ横臥彼らの王であり、ダビデ王家は途絶えていました。霊的にも民族的にも暗い時だったと言えます。伝道者にある「空の空」という言葉が、実感を持って彼らに迫ってきたのではないでしょうか。

このようなときに、東方の博士は、王としてお生まれになった方を礼拝するためにやってきたのです。それも高価な黄金、乳香、没薬を携えて来たのでした。黄金は、王にふさわしい高価な贈り物です。乳香と没薬は、カンラン科の植物の樹脂から作られたものです。乳香はその名が示すように乳白色をしており、礼拝の時に炊かれる香です。祭司が使うものであり、イエス様が私たちを執りなす大祭司であることを示しています。没薬は、医薬品としての使われ、癒やし主であるイエス様にふさわしいささげ物です。これらのものは、イエス様を礼拝するのにふさわしいささげ物だったのです。

現代も又、無常を感じる時代です。しかし、望を神様におくことが出来ます。むなしい物ではなく、神様の喜ばれる捧げ物を携えて礼拝を献げ、新し年を迎える備えをすることが出来るのです。

詩篇51:17 神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。

ローマ12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

2012.12.30 NO.390 

2012年12月23日 (日)

クリスマス

イエスのおられる処 ルカ2:1-12      

イエスキリストの御降誕、おめでとうございます。1225日は、キリストの誕生を記念すると言えると思います。教会だけでなく、ちまたでは教会以上にクリスマスが祝われている、いや利用されて様々な催し物が行われています。しかしそこに、イエス様はおられるでしょうか?たといキリスト者であっても、イエス様がおられることをどれだけ意識し、感謝し、この日々を過ごしていることでしょうか?

ルカ2:7には、「男子の初子を生んだ。それで布にくるんで、飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」と書いてあります。いる場所がなかったとは、意味深なことばです。いかに人口調査のためにベツレヘムの町が人であふれ、宿屋が満員であったとしても、赤ちゃんが生まれそうになっているマリヤを見てだれもスペースを開けようとしなかったのでしょうか?子供達にこのお話をしたら、詰めてもらえばいいじゃ無いかと言った子がいましたが、まさにその通りでしょう。イエス様を閉め出す、傲慢な人を表しています。

このみ言葉は、あらためて私たちの心にスペースを作り、イエス様をお迎えすることを思い起こさせます。年末になると、多くの家では大掃除をしますね。引っ越しのたびに荷物が増え、なかなか整頓できないという経験を持っている人は案外多いのではないでしょうか。捨てることが出来ないのです。断捨離が、難しいわけです。心の大掃除は、余分なものを捨てて、イエス様にきちんとスペースを開け渡すことです。クリスマスに必要なのは、きらきら輝くイルミネーションやお料理ではなく、イエス様に向かって開かれた心なのです。

幼いときの高熱が元で、ほとんど身動きの出来なくなった水野源三さんの詩は、私たちに主の御降誕の神秘を教えています。何もなくても、イエス様がいてくださる処には、平安と歓びがあるのです。

救いの御子の降誕を (水野源三) 

一度も高らかに

クリスマスを喜ぶ賛美歌を歌ったことがない

一度も声を出して

クリスマスを祝うあいさつをしたことがない

一度もカードに

メリークリスマスと書いたことがない

だけどだけど

雪と風がたたく部屋で

心の中で歌い

自分自身にあいさつをし

まぶたのうらに書き

救いの御子の降誕を

御神に感謝し喜び祝う

2012.12.23(師走待降節第4主日) NO.389 

2012年12月21日 (金)

バッハの世界へ?

昨年に引き続き、ララガーデンでオルガンの演奏会が開かれました。昭和楽器さんのオルガン発表会です。ほぼ1年間、足鍵盤のある曲に挑戦してきました。お客さんの声や、ベルの音など、いろいろある中でのオルガン演奏です。この日のためによく頑張りましたが、できの程は・・・・。3名の生徒さんが演奏してくれました。男性の生徒さんの演奏は、迫力がありました。先生も、感謝です。

バッハの世界を、少しでもお楽しみいただければと思います。メリークリスマス!

お知らせ

12月23日午前11時 待降節第4主日礼拝

12月24日午後6時 燭火礼拝(中央会堂)

12月25日午後7時 静かな降誕祭で、オルガン演奏を再び

2012年12月16日 (日)

平和への道

吾唯称神 ルカ1:67-79   

本日の説教題は、「われ、ただ、神をたたえる」と読みます。龍安寺の蹲いに右回りに読むと「吾唯足知」と刻まれている言葉から考えた言葉です。かなり無理があるかもしれませんが、意味はおわかりになると思います。もちろん、国語の辞書には載っておりません。

エリサベツが男の子を出産し、その子の名前をつけるとき、ザカリヤは書き板をもって来させて「彼の名はヨハネ」と書きました。周りの人は大いに驚きましたが、彼の口は開け、預言して歌ったのが本日のテキストです。最初の言葉「褒め称えよ」のラテン語訳にちなんで、ベネディクトウスと呼ばれているザカリヤの賛歌です。

彼はなぜ、神を褒め称えたのでしょうか。それは、イスラエルの歴史を導いてくださっている神がおられ、その方が民を顧み、購いのわざをしてくださったからです。このときはまだイエスは誕生していませんでした。しかし、ヨハネと名付けられた男の子は成長し、ヨルダン川で罪の悔い改めに基づくバプテスマを授け、救い主イエスキリストを受け入れる露払いの役をするようになります。ヨハネからバプテスマを受けたイエスは、十字架に掛かりよみがえって、購いのみわざをなしてくださったのです。預言者が語っているとおりのことが、実現したのです。

人は苦しいとき、神様により頼むよりは、自分の力をなお信じ、がんばろうとします。しかし苦しいときにこそ神に信頼し、神様とともに歩んでいくのです。

救いの御子は、人々を平和の道に導く方です。現代なら、真のノーベル平和賞候補でしょう。この世は、平和を実現するために戦争をしてきました。いまもなお、戦争が続いている国や地域があるのは、それぞれに平和を求めているからです。実に皮肉なことです。戦争に勝利した者には平和はありますが、敗者に平和はないのです。力による平和は、いつか壊れていきます。イエス様の誕生の時代は、パックスロマーナ、ローマの平和といわれるときでした。しかしそれは、軍事力に支えられたものであり、ローマ帝国もやがて滅びました。このようなことは、今の時代も同じです。

私たちと国家間に平和をもたらすのは、赦しと和解だと思います。お互いの過ちを真摯に認めて謝罪する、そして赦す。そのことによって和解ができ、平和が生まれるのです。イエスの誕生は、私たちに平和をもたらすためでした。

人間の力が、最終的なよりどころではありません。平和をもたらす神様にこそ、その力があることを、心に留めましょう。

クリスマスオラトリオの作者であるバッハは、楽譜の最後に「神に栄光があるように」という祈りをもって、SDGとサインをしたそうです。私たちも、自分の栄光ではなく、神様をたたえる日々を送っていきたい者です。

ローマ15:6

それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。

2012.12.16(師走待降節第3主日) NO.388 

2012年12月12日 (水)

ララガーデンで、パイプオルガン

一気に寒くなって参りました。温かい鍋もいいですが、迫力あるオルガン演奏もいいですよ。

今年もララガーデンの広場で、S和楽器の先生と生徒さんがオルガンコンサートを行います。私の家内も出演いたしますので、よろしかったらご覧ください。もちろん、無料です。12月16日(日)午後2時から2:30くらいまでということです。そして夜は、教会の祝会。主イエス様の御降誕を、今年も感謝したいと思います。

2012年12月11日 (火)

やっぱりサンタ?

一段と冷え込んだ9日の午後、丘の上会堂でも、子供クリスマス会が行われました。昨年は開始時間になっても来てくれる子供達が少なかったのですが、今年は30分以上前に元気の男の子と達が来てくれ、楽しいクリスマス会になる予感!そして、40名を超える子供達と、保護者の方が集ってくださり、会堂はほぼ満席となりました。

今回は外部のゲストを呼ばす、LSCのメンバーによるクリスマスストーリーの上映、家内の腹話術「迷子の子羊」、そしてわたしのお話という3本立てでした。リリーちゃんの登場と、その仕草に子供達の目はばっちり開かれ、笑い声が絶えませんでした。わたしのお話しのことは、ちょっと疲れが出ているのか、イマイチ集中が途切れた感じ。話し手で或自分としては、心のスペースをあけてイエス様を迎えようと語ったのですが、反省です。

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しかしクリスマス会の最後はこの人が大いに盛り上げてくれました。言わずと知れた、サンタさんの登場です。今年のサンタさんは、ウルトラの星から来てくれたとのこと。どこにあるの?と戸惑った子供達にもめげず、楽しいお話をしてプレゼントをみんなに渡してくれました。

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サンタさんは、目に見えないけれど大切なものがあることの象徴ですね。I love Santa から、I love Jesus!と言ってくれるお友達が起こされることを、祈っています。

LSCの子どもたち、スライドショーを担当してくれました↑

2012年12月 9日 (日)

神様に目を掛けられる?

目を留めてくださる方 ルカ1:46-55      

救い主イエス様の誕生には、天使のお告げを受けた人たちがいました。神殿で祭司として仕えているザカリヤが、お告げを受けた第1の人です、ザカリヤ夫妻には子供が無く、二人とも年老いていました。子供が出来ることなど、とうの昔にあきらめていたのかもしれません。天使は、妻のエリサベツは身ごもって、後にバプテスマのヨハネと呼ばれる男子を生むと告げたのです。しかしザカリヤはこのことばを信じることが出来なかったために、ヨハネが生まれるまで口もきけず、耳も聞こえないという沈黙の日々を送らなくてはなりませんでした。

2番目は、よく知られているように、処女マリヤへの告知です。多くの画家によって「受胎告知」というテーマでその場面が描かれています。マリヤは天使のお告げに当惑しましたが、「あなたのお言葉通りこの身になりますように」と言って、それを信じたのでした。第3番目は、ヨセフへの告知です。このときすでにマリヤの妊娠を知っており、密かに離縁すると決めていました。婚約中のマリヤが、不貞をしたと思ったのかもしれません。しかし天使は、彼女の妊娠は聖霊によるのであるから、恐れないで彼女を妻として迎えるようにヨセフに告げました。彼も又このことばを信じ、マリヤを妻として迎え入れ、イエス様が生まれるまで彼女を知ることがなかったのです。信じがたい状況の中でこそ、神様のみ言葉を信じることの幸いを体験した二人でした。

本日の箇所は、マリヤの賛歌と言われています。身ごもったエリサベツに逢い、心の底から出てきた賛美でしょう。又、彼女のこのような体験から出た言葉です。これは46節のあがめるという言葉のラテン語訳から「マグニフィカト」と呼ばれています。この歌の特徴は、卑しい身のマリヤが、神様によって目を留めていただいた歓びを歌っているところにあると思います。同じ事は、エリサベツのヨハネの誕生の時にも語られています。人々は、不妊の女性と言われた者に、神様は大きなあわれみを掛けたと言いました(58節)。夫ザカリヤも、神様のあわれみは自分たちの先祖からあったと歌いました(71)。そしてヨハネの誕生は、神様の深いあわれみによる事であると言ったのです(78)

イエス様の誕生は、文字通り、神が人となり、低い者のとところに来てくださった出来事です。そしてイエス様の生涯の最後は、犯罪人が処刑される十字架の死でした。人として生まれて、これ以上惨めな最期はあるでしょうか?しかしこのことの故に、イエスは高く上げられ、イエスを信じる者をそれと同じように引き上げてくださるのです。

ピリピ2:679 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。

神様は、小さな私たちに目を留め、新しい人生へと導いてくださる方なのです。

イザヤ43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。

2012.12.9(師走、待降節第2主日) NO.387 

2012年12月 7日 (金)

キャンドル立てを作ろう

クリスマスシーズンですね。お家のデコレーションをいろいろ考えておられるのではないでしょうか?そんな方に、耳寄りな情報です。

来週12月13日、丘の上婦人クリスマス会で、キャンドル立てを作ります。指導はプロのお花屋さんです。下記の画像の、小さい方を作ります。松ぼっくり、ハス、綿、ひいらき、樅の葉等々、全て丘の上のご近所から集まった物ばかりです。文字通りの手作りキャンドルで、あなたの家に素敵な降誕祭を演出してはいかがでしょうか?

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丘の上婦人クリスマス

12月13日(木) 午前10:45

2012年12月 6日 (木)

友、遠方より来たる!

12月1日、丘の上のひとあし早い降誕祭の音楽と講演が終わり後片付けをしていると、電話がありました。友人のかっちゃんからでした。「今どこ?」と聞いたら、「あと30分で着くナウ」とのこと。え~?どうしてそんな近くにいるの?と思いましたが、「じゃあまたあとで」と言う事で、電話が切れました。

かっちゃんは、鳥取県の琴浦町に住んでいるのです。春日部からは、かなり離れたところ。一体このアポ無し上京はどういうことかと思いました。

で、約30分後、教会のEさんの車でかっちゃんご夫妻が丘の上まで来てくれました。プライベートの来訪で、用事を済ませてホテルに泊まる前に逢いたくなってきてくれたという、次第です。積もる話があるようなので、一緒に夕飯を食べようという事で、豊春駅近くのお店に向かいました。二人のためには、このお店しかないという私の提案に従ってくれました。そのお店の広間には、「信望愛」と大書された軸がかかっているのです。もちろんこれは聖書のことばですが、二人の子供の名前は、ここから取られているからです。上から、愛ちゃん、信君、望君となります。4番目も男の子で、恵君ですから、キリスト者の家庭にふさわしい名前を持ったお子さんに恵まれている夫婦です。すでに孫が6人もいるというのですから、我が家と比べたら大きく水をあけられているわけです。

それはともかく、かっちゃんもEさんも私も同じ大学の聖研の仲間という事で、久しぶりに楽しい夕食を一緒に取る事ができました。そういえば、音楽会にも2人同じ大学のOBが参加されていました。

話はつきなかったのですが、後半は、彼らが今住んでいる琴浦町に、T牧師を中心に伝道と観光を兼ねたツアーを計画しようという事で、大いに盛り上がりました。是非とも実現したいと思います。人口が2万人に満たない小さな町らしいですが、海と山、そして温泉のあるいいところだそうです。そんなところで家庭を解放して信仰生活を送っている二人のために、なにか一緒に奉仕できたらいいなと思わされました。かっちゃん、来てくれてありがとう!来年は、鳥取に行くよう~!

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。

1コリント13:13

2012年12月 2日 (日)

400年の時をこえて

12月最初の土曜日、丘の上会堂で、ひとあし早い降誕祭として、音楽と講演の集いが開かれました。多くの方が前売り券を購入してくださり、当日も家族に誘われたり、ブログでこの集いを知った方が集ってくださいました。

音楽は、パイプオルガンとフルート、そして独唱によって日本人が初めて聞いたであろう西洋の音楽が演奏されました。クリスマスの賛美歌も演奏され、最後は皆さんと一緒に「きよしこの夜」を賛美して、1部は終了。以下のようなプログラムでした。

1.「聖霊と共に」によるティエント  A.カベソン

2.イタリアのパヴァーヌによる変奏曲  A.カベソン

3.第8旋法によるマニフィカト  A.カベソン

4.シューブラーコラール集よりBWV648「わが魂は主をあがめ」  J.S.バッハ

5.フルートソナタ ハ長調 BWV1033  J.S.バッハ

6.讃美歌21 245番「世の成らぬ先に」  

原曲:13世紀単旋律聖歌 編曲:W.ヘルド

7.讃美歌メドレー “あめにはさかえ~神の御子は今宵しも~牧人ひつじを”

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第2部は友愛ホールに会場を移して、「降誕祭のもてなし」と題した髙橋牧師のお話です。禅宗の僧として得度した大友宗麟は、フランシスコ・ザビエルから大きなインパクトを受け、ついにキリスト者となり、彼の領地である豊後に神の国を造ろうとした大きな夢を持った武将でした。そして、自ら成り下がってくださったイエスキリストに降誕祭のもてなしの心であることが、語られました。その心は、日本語言えば和敬清寂と言えるでしょう。

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講演の合間には、大友宗麟にちなんで大分銘菓「ザビエル」と、東方見聞録を著した人物の名前である「マルコポーロ」という紅茶をいただき、400年の時をこえたキリシタン伝来の頃を、味わうことができました。

参加してくださったOさんは、かつて十字架合唱団のメンバーとして、私たちに協力して下さった方です。オラショの原点を探るべき、九州にまで行かれたそうです。そして翌日、丘の上の庭の景色を撮った素敵な画像を送って下さいました。来会して下さった方々からも祝福をいただいたひとあし早い降誕祭の一日となりました。

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繁栄と平和を求めても

人の行きつく先 使徒19:2341

足かけ3年に及んだエペソでの伝道は、パウロが宣べ伝えた福音の故に、ただならぬ騒動の勃発によって閉じられます。それは、銀細工人のデメテリオが、パウロたちのせいで自分たちのしている商売が成り立たなくなり、アルテミス神殿が省みられなくなって偉大な女神の威光が地に落ちしまうと言って、町中に大騒動を起こしたからです。この騒ぎの中にパウロは入ろうとしたのですが、弟子たちや友人はそれを押しとどめ、町の書記官によってようやくその騒ぎは鎮められ、劇場に集まった人たちは解散させられました。

このような騒ぎの発端となったデメテリオの商売とは、アルテミス神殿の模型を作って参詣者に販売するというものでした。神殿や女神の模型が、陶器(テラコッタ)、銀などで作られていたそうです。エペソのアルテミス神殿は、古代の七不思議の一つと言われています。それは、前6世紀に着工され,約200年の歳月をかけて完成しました。その後火災によって焼失しましたが、再建された神殿が発掘されてその全貌が明らかになっています。その広大さは、アテネのパルテノン神殿の4倍大で、敷地の上に13階段を経て上る神殿は奥行103メートル,間口43メートル、そこには直径1.8メートルの大理石円柱が100本立てられ、そのうち36本には高さ3メートルの所まで等身大の女人群像が浮彫にされています。アルテミスの像は、その神殿の中にある内殿に安置されていたといます。豊穣多産を表す女神であり、胸の部分には多くの乳房に覆われています。太陽暦の34月の頃に祭りが行われていました。

エペソには、これらの神々に願いをするため多くの人たちが来ていました。また何か力あるものを受けるために、そのような場所は大きく、荘厳に建てられるものです。そして、神々に願いを掛ける姿は、古今東西、今も昔も変わりはありません。日本の年末年始には、あちこちの神社仏閣を尋ね、お参りをします。クリスマスには教会に、安らぎを求めて来られる方もあるでしょう。あるいは、夢を買おうということで宝くじ売り場に並んだ方もありますね。

しかし人間のそのような行きつく先は、どこにあるのでしょうか。パウロも見たアルテミス神殿は、262年にゴート人の襲撃により略奪され、破壊されました。今では遺跡としてその一部が残っているだけであり、積み上げられた1本の支柱の上には、コウノトリが巣を作っているそうです。

パウロが宣べ伝えたのは、人の魂の行く先を見つめたメッセージでした。人間の手によるものに、神を入れておくことはできません。そこには、永遠に続く幸いはないのです。人を造られた神は、私たちを愛して、まことにひっそりとしたところに御子を生まれさせたのです。クリスマス、主のご降誕の神秘は、ここにあるのです。

箴言14:12 人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。

2コリント8:9 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

2012.12.2(師走、待降節第1主日) NO.386 

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