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2012年12月30日 (日)

無常を感じてもなお

まことを献げる マタイ2:-12      

本年最後の礼拝となりました。どの家でも大掃除をしてすがすがしい気持ちで新年を迎えようとするように、み言葉によって私たちを清めていただき、新しい年に望を置きたいと思います。

今年の大河ドラマの最終回には、西行が登場して歌を詠み、平家物語の最初が奏でられました。平清盛が生きた時代は、方丈記を著した鴨長明がおり、仏教の世界では念仏を説く法然、親鸞のいたときです。日本人の中にある「無常」がいろいろな形を取って現れてきた時代を描きたかったのでしょうか。

イエスキリストの降誕物語は、マタイの福音書にも描かれています。こちらは、東方の博士たちがヘロデの宮殿を訪れます。そして幼子イエスにまみえて、宝物を献げ、礼拝をし帰って行くという物語です。ルカの福音書に描かれている救い主の降誕とは、対照的な描き方になっています。お茶会にたとえれば、ルカが描くのは草菴で営まれるわびたお茶会、マタイの福音書では広間で行われるきらびやかな茶会といったイメージでしょうか。まさに、イエスの誕生にわびさびを感じる物語です。

聖書では東の地といえば、今でいうアラビア地方を指す言葉だと思います。しかしこれは、流浪の地、無常の世界を象徴的に表す言葉と私は感じます。イエス様がお生まれになった時代は、預言者の言葉が400年あまりも聞かれず、神殿は壊されており、ユダヤ人の歓心を買うためにヘロデがその再建に着手した時代です。ローマによる平和がありましたが、ヘロデ横臥彼らの王であり、ダビデ王家は途絶えていました。霊的にも民族的にも暗い時だったと言えます。伝道者にある「空の空」という言葉が、実感を持って彼らに迫ってきたのではないでしょうか。

このようなときに、東方の博士は、王としてお生まれになった方を礼拝するためにやってきたのです。それも高価な黄金、乳香、没薬を携えて来たのでした。黄金は、王にふさわしい高価な贈り物です。乳香と没薬は、カンラン科の植物の樹脂から作られたものです。乳香はその名が示すように乳白色をしており、礼拝の時に炊かれる香です。祭司が使うものであり、イエス様が私たちを執りなす大祭司であることを示しています。没薬は、医薬品としての使われ、癒やし主であるイエス様にふさわしいささげ物です。これらのものは、イエス様を礼拝するのにふさわしいささげ物だったのです。

現代も又、無常を感じる時代です。しかし、望を神様におくことが出来ます。むなしい物ではなく、神様の喜ばれる捧げ物を携えて礼拝を献げ、新し年を迎える備えをすることが出来るのです。

詩篇51:17 神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。

ローマ12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

2012.12.30 NO.390 

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