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2013年1月

2013年1月21日 (月)

初ランは平井さんと

クリスマスの前は風邪で寝込み、年明けにはインフルにやられ、身体も気力も弱くなったと感じてしまいました。

そんな弱気の中でも、今年も大凧マラソンにエントリーし、走り出しの機会を求めていました。ふれあいキューブのイベント欄に、あの走る気象予報士こと、平井信行さんがコーチしてくれるランニング講座のあることを知り、早速申し込みました。旧倉松公園が会場とのことでそちらに向かうと、飛び入りにもかかわらず温かく迎えて下さり、自己紹介のあと早速皆さんとジョギング、ストレッチ、リレー、そして最後には子供達のリクエストで雪合戦で楽しく身体を動かすことができました。さすがに、リレーは本気モードになってしまい、かなり足に来ましたが・・・。

今年の初ランは、思いがけずこのような形になり、元気をもらった感じです。ジョギングしながら平井さんからのお話しはたいへん参考になり、やる気もアップしてきました。ベテランのランナーから小学生、そしてその親御さん達との出会いがうれしかったですね。

今回参加させてもらったのは、スポールを通して市民の交流をされている、かすかべFMクラブさんでした。毎週土曜日活動をされているそうで、ランニングの時には参加させていただきたいなと思いました。

大凧マラソンのエントリーも始まっています。平井さんだけでなく、川内さんも参加されるそうです。もちろん、我らの市民ランナーの夕子さんも走りますよ。ブログを見て下さって皆さんとも一緒に楽しく走りたいですね。

2013年1月20日 (日)

イエスの言葉を思い起こす

与える幸い 使徒20:17-38      

先週は、関東地方も「大雪」となりました。日陰になっているところではまだ雪が残り、アイスバーンになっていて歩くのに注意が必要です。家の前にもかかわらず、いつまでも除雪されずに凍り付いた道を見るたびに、どうしてこの家の人は除雪しないのかと不思議に思います。道路に面した家が全て雪かきをしないと通行に支障をきたすので、このような小さなことにいらっときてしまうのは、雪国育ちの嵯峨ともいうべきものなのでしょうか?他の人のことまで顧みるのは、なかなか難しいことです。

ミレトに集まった長老達に、パウロは告別の説教ともいうべき言葉を語ります。かつては教会を迫害する人でしたが、ダマスコ途上で復活の主と出会い、キリスト者となったパウロは、その生涯を伝道のために献げました。この箇所には、彼が自分の全てを献げてみ言葉を伝え、ユダヤ人にもギリシャ人にも悔い改めと信仰をはっきりと語り、神の国の福音全体を余すところなく教えたことが書かれています。この箇所からは、パウロは与えられたミッションを全うしていまエルサレムに上り、たといそこで死ななくてはならないとしても良しとする心意気を感じます。このような姿を見て、エペソの長老達はパウロとあつく抱擁し、船が見えなくなるまで港の岸壁に立ち尽くしていたことでしょう。パウロの生涯は、キリストのために生き、そして死んでいった生涯でした。

ピリピ1:21 

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。

35節に書かれている言葉は、福音書には書かれていません。イエス様の語られたこの言葉を、他の弟子から聞いたのでしょう。この言葉は、格言のようなものであり、初代教会のキリスト者達に影響を与えていったでしょう。

この言葉と似ている言い方があります。

ルカ6:31自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。

6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

イエス様の生涯は、文字通り与える生涯でした。新聖歌99には「全てのものを与えしすえ、死の他何も与えられで、十字架の上に上げられつつ、敵を赦ししこの人を見よ」と歌われています。

受けるよりも与えることの幸いを、イエスの生涯を思い起こしつつ、私たちも味わいたいものですね。

2テモテ3:15 

聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

2013.1.20(睦月) NO.393 

2013年1月13日 (日)

急ぐ旅

旅路を進む 使徒20:13-16      

丘の上教会のある当たりは、昔からの農家が今も代々受け継いだ土地を耕し、暮らしている方の比較的多いところです。そのせいか、皆さんゆっくりと歩いておられます。急いで歩いたり走ったりしているのは、新しい住民か自分だけのような気がします。

ゆっくりと旅路を楽しむ方が好みという方もあるでしょうが、本日の箇所のパウロは、旅路を急いでいるように描かれています。それは、16節にあるように、五旬節までにはエルサレムについて、諸教会から託された献金を、貧しい聖徒たちに早く渡したかったという思いがあったからだと思います。五旬節はユダヤの三大祭りの一つですが、使徒2章にある出来事を体験した教会にとっては、新しい意味を持っていました。福音が国や民族を超えて全世界に広がり、聖霊によって新しく教会が生まれたことを記念する日となっていたのです。異邦人の使徒となったとはいえ、同胞の救いと成長のために心を遣うパウロの姿が浮かんでくるようです。

トロアスを出発したパウロは、まずは陸路を取ってアソスに向かいます。13節の言葉のニュアンスからして、陸路を歩いて行ったと思われます。彼は何故、他の弟子達と一緒に船に乗らなかったのでしょうか。いくつかの理由が考えれますが、彼は一人になりたかったのではないかと思うのです。

彼はエペソに立ち寄りたかったのです。銀細工人達の騒動のあと、キリスト者達がどの様な暮らしをしているか、気になっていたことでしょう。しかし、早くエルサレムに行きたいがために、立ち寄る時間がありません。そこで、ミレトに着いたとき、使いを送ってエペソの長老達に来てもらうようにしました。そこでパウロは、今日では決別の説教とも言うべき大切な話しをするのです。その草案を練るには、仲間がいる船に乗るより、一人歩いた方が良かったからだと考えられるのです。

私たちも、大切なことを控えているときは、やはり一人静まりたいと思うでしょう。一人になることは、悪いことや否定的なことではありません。自分と向き合い、神様のとの交わりの時となるのです。禅語に「独座大雄峰」ということばありますが、一人唯静まる姿に気高いものを感じますね。パウロは、長老達との別れ、そして苦しみの待つエルサレムへの道行きを思って、あえて一人陸路を通ったのです。

私たちの今年も歩みは、果たしてどの様なものになるでしょうか。終の住処や、お墓のことを考えている方もあるでしょう。その時たよりにするのは、パンフレットや案内をする人の言葉でしょうか?それとも、書かれた神様の言葉である、み言葉でしょうか。一人旅路をたどりながら、パウロは主の言葉を思い起こし、その方の導かれる道を信頼して進んでいったのです。

詩篇119:105 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。

2013.1.13(睦月) NO.392 

2013年1月12日 (土)

レルヒパワーで回復!?

小生、生まれて初めて(たぶん)インフルで寝込んでしまいました。昨年は、予防ワクチンを打ちに入ったら、今更来ても遅いということでしたが、今回は見事にやられましたね。

ドクターのお話では、A型とのこと。どこでもらったかは分からないほど、ちまたには菌があふれているようです。熱が引いてから3日たちますので、明日は大丈夫です。

そんな中で、娘がこれで力をつけてのことで、レルヒさんのパンを買ってきてくれました。季節限定のご当地グッズならぬ食品ですね。早速、レルヒさんの銅像と、記念すべきスキー発祥の記録本を出していただきました。レルヒパワーで、完全回復です。ローソンで買えますよ。

Lerch1 この情報を初めに教えてくれたのは、上越市の大学院で学ばれ、両親とも親しい交わりを持ってくださったKさんです。ありがとう!

レルヒさんってだれ?と言う方は、検索してみてくださいね。オーストリアの軍人さんで、最初にスキーを日本に教えてくれた偉~いお方なのです!ゆるキャラも、コバトンよりも上位にランクインしてますよ。

とにかくも、情けないことではありましたが、そんな弱さの中にもパワーをいただくことができる恵みも体験できました。お互いに、気をつけましょう。

2013年1月 6日 (日)

1年の計は元旦に、1週の計は日曜日に

主の日に集う 使徒20:1-12      

新しい年が始まりました。西暦では2013年、和暦では平成25年、干支で言えば癸巳(みずのとみ・きし)、巳(へび)年とも言います。暦や時の刻み方はおもしろいテーマであり、人は聖書の言うように、自分の日を正しく数えることこそ一年を幸福に過ごすことに通じると思います(詩篇90:12)

ところで、皆様が使っているカレンダーは何曜日が始まりでしょうか?日本では、カレンダーや手帳の多くが月曜日始まりだと思います。土日は、ウイークエンドと呼ばれています。しかし日曜始まりのものもあります。現在では国際規格というものがあり、月曜日が週の初めとされていますが、聖書の世界は日曜日が週の初めの日となっています。正確に言えば、週の初めの日が後に日曜日と言われるようになった、ということです。そしてキリスト教会では、日曜日に集い礼拝を献げることとなっており、この日を主の日、聖日とも呼んでいます。

エペソから西をめざしたパウロの旅は、ユダヤ人の陰謀があることを知って、陸路を通ってアンテオケに戻る旅となりました。途中エルサレム教会の貧しい人たちに届ける献金を携えた諸教会の代表者とルカが加わり、トロアスに滞在しました。そこで週の初めの日に、パンを裂きパウロの説教を聞くために大勢の人が集まったのです。今で言えば、礼拝をもち、聖餐式を守ったと言うことでしょう。そのさなか、ユテコという青年が窓際に座っていたのですが、そこから転落して死んでしまうと言うアクシデントが起きました。多くのランプをともしていたので部屋は酸欠状態になり、昼間の疲れが出て眠くなってしまい、こんなことが起きたのかもしれません。お互いに、注意しなくてはならないことです。しかしこのようなときでも、パウロは慌てることなく人々に「心配することはない」と言って、この青年を生き返らせたのです。心肺停止の状態から、元に戻したということだったかもしれません。家族はもとより、一同は大いに慰められたことでした。

これは、イエスキリストの生涯と教会の暦を重ね合わせるときに、実に象徴的な出来事だと思います。初代教会の人たちは、なぜ週の初めの日に集まっていたのでしょうか?それは、週の初めの日こそ、イエスキリストが死からよみがえられた日であったからです(マタイ28:1)。英語では日曜日をSundayと呼びます。義の太陽として、暗い私たちのために現れてくださったイエスキリストの復活を記念してよぶのに、ふさわしい呼び方です。それ以来、キリスト教会は日曜日を礼拝のために集い、お互いに交わり、そして奉仕する日として過ごすようになったのです。単なる休日ではなく、まず神様の前に出て新しい週の歩みに備えたのです。

1年の計は元旦にありとは良くいわれますが、私たちの1週の計は聖日にあると言えるでしょう。新しい年も、主の日に集うことを大切にしていきたいのです。

ヘブル10:2425 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

2013.1.6(睦月) NO.391 

2013年1月 3日 (木)

四天王?

2013年新年明けまして、おめでとうございます。本年も、丘の上からコンニチハを、ご高覧いただければ幸いです。

今年も、元旦礼拝からのスタートです。前奏曲は、宮城道雄作曲の春の海。元々は琴と尺八の演奏曲ですが、学生時代からの友人であるオルガニストとピアニストの共演による演奏です。今年はたいへん心地よく聞くことができ、私としては自分の故郷である新潟の海を思い浮かべておりました。ヨハネ15より「人生の実」というテーマで説教が語られ、主にあって聖霊の実、愛の実、平和の実を結びたいと願わされました。「恵みの高き嶺」を賛美しているとき、昨年行けなかった八海山と、父親が最初に赴任した中学校の登山コースでもある米山に登ろうと決心いたしました。何とか、実現したいところです。

その後は、恒例の丘の上新年茶会。三日間のおもてなしは、準備した150個の花びら餅が最終席では足りなくなるほどの盛況でした。それぞれ自由においでいただくので、その時の出会いが楽しみで、今年も思いがけず楽しい出会いがありました。ここでは、書けないほどです。

今回の茶会のハイライトは、毎月お稽古に通っている二人の若者がお点前デビューしたことです。まだまだ未熟ではありますが、お客様の前で精一杯のお茶を差し上げることができました。特に、寛基君は初めて着物を着てのお点前。R馬、石川R,JIN、等いろいろな呼び方をされていました。3人の牧師と一緒に記念写真を撮り、良い思い出になりました。足の痛みはありますが、頼もしい二人と、社中の仲間と過ごせた三日間は、新しい年にふさわしい時でした。今年もイエス様の心をいただいて、仕えて参りたいと思います。

Dscf6931

皆様の上にも、この年、豊かな祝福がありますように。

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