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2013年1月20日 (日)

イエスの言葉を思い起こす

与える幸い 使徒20:17-38      

先週は、関東地方も「大雪」となりました。日陰になっているところではまだ雪が残り、アイスバーンになっていて歩くのに注意が必要です。家の前にもかかわらず、いつまでも除雪されずに凍り付いた道を見るたびに、どうしてこの家の人は除雪しないのかと不思議に思います。道路に面した家が全て雪かきをしないと通行に支障をきたすので、このような小さなことにいらっときてしまうのは、雪国育ちの嵯峨ともいうべきものなのでしょうか?他の人のことまで顧みるのは、なかなか難しいことです。

ミレトに集まった長老達に、パウロは告別の説教ともいうべき言葉を語ります。かつては教会を迫害する人でしたが、ダマスコ途上で復活の主と出会い、キリスト者となったパウロは、その生涯を伝道のために献げました。この箇所には、彼が自分の全てを献げてみ言葉を伝え、ユダヤ人にもギリシャ人にも悔い改めと信仰をはっきりと語り、神の国の福音全体を余すところなく教えたことが書かれています。この箇所からは、パウロは与えられたミッションを全うしていまエルサレムに上り、たといそこで死ななくてはならないとしても良しとする心意気を感じます。このような姿を見て、エペソの長老達はパウロとあつく抱擁し、船が見えなくなるまで港の岸壁に立ち尽くしていたことでしょう。パウロの生涯は、キリストのために生き、そして死んでいった生涯でした。

ピリピ1:21 

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。

35節に書かれている言葉は、福音書には書かれていません。イエス様の語られたこの言葉を、他の弟子から聞いたのでしょう。この言葉は、格言のようなものであり、初代教会のキリスト者達に影響を与えていったでしょう。

この言葉と似ている言い方があります。

ルカ6:31自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。

6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

イエス様の生涯は、文字通り与える生涯でした。新聖歌99には「全てのものを与えしすえ、死の他何も与えられで、十字架の上に上げられつつ、敵を赦ししこの人を見よ」と歌われています。

受けるよりも与えることの幸いを、イエスの生涯を思い起こしつつ、私たちも味わいたいものですね。

2テモテ3:15 

聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

2013.1.20(睦月) NO.393 

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