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2013年2月

2013年2月24日 (日)

老いては子に従え?

本日は、中央会堂での説教要約です。

先週、元春日部市立病院の院長であられたK先生の葬儀が営まれました。無宗教の前夜式、お別れの会ということで、弔辞のあとに会葬者が花を手向けてお別れをいたしました。

誰にとっても、自分の最期をどの様に迎えるかは、大きな関心事であると思います。三浦綾子さんが言われたように、人の死は最後の死事(しごと)ですね。最近では、エンディンノートが何種類も販売され、インターネットで無料で取ることもできます。自らの死にしっかりと向き合い、最期を迎える備えをしようという人が増えているのだと思いまし、これは必ずしも高齢者に限ったことではありません。自分の葬儀をどの様にして欲しいのか、お墓はどうしたいのか、そういったこともきちんと家族に話しておくことは、大切なことだと思います。

主イエス様は、ご自分の最期についてはっきりと弟子たちに告げられました。それは、ユダヤ人の手に渡されて殺され、三日目によみがえるということでした。しかしこのとき、どれだけの人たちがこの言葉の意味を理解していたでしょうか。

イエス様は、祈るために山に登られました。3人の弟子たちが同行したのですが、彼らはモーセとエリヤがイエス様と語り合っている姿を見てしまいました。イエス様は驚くほどの白さで輝いていたというのです。ロシアに落下した隕石が放ったという光よりも輝いていたかもしれませんね。弟子たちはこの素晴らしいところにとどまっていたいと思い、おもわず幕屋を作りますと言ってしまいました。彼らは、裂きにイエス様が言われたその最期のことを、きちんと理解できていなかったのです。その時雲がわき起こり、その雲の中から声が聞こえたのです。「これはわたしの愛する子、私の選んだものである。彼の言うことを聞きなさい」

この声は、父なるかみ様からの声であり、イエス様がバプテスマのヨハネから水の洗礼を受けたときに聞こえた声とよく似ていました。御子イエスは、まず父なるかみ様からの愛を受けておられました。私たちは、その御子に聞き従うことが求められているのです。なぜなら、イエス様自身が、自分の願いではなく父なる神様の御心に従われたからです。

私たちは、誰の声に従って生きているでしょうか。やがて、神様から呼ばれるときが来るでしょう。その時まで、永遠の都をめざして主のみ声に従う日々を送りたいものです。

ピリピ3:20

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

2013年2月22日 (金)

メジロが・・・

庭の椿も盛んに花をつけ、梅の花も咲いてきました。滝の水を落とすと、鳥たちもやってきます。

メジロも良く姿を見せてくれます。あるとき、そんなメジロを見つけたので家内に「椿の花にメジロがいたよ」と言うと、「メジロがジロッと見つめた?」との突っ込み。う~、サブッ!

田舎に帰ったとき、画廊で買ってきた安田伍峰さんの色紙です。

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今週水曜日は、めぐみ幼児園の卒園茶会でした。二人の卒園児のために、心を込めて、お茶を点てさせてもらいました。床の軸は、新島襄の「寒梅」が掛けられていました。

 庭上の一寒梅 笑って風雪を侵して開く

 争わずまた努めず 自ずから百花の魁を占む

風雪のような困難なときでも、寒さの中に花をつけている梅のように、何事にもとらわれず自分らしく、おおらかな一年生になって欲しいなと願わされましたね。

2013年2月17日 (日)

一触即発

苦難の中に 使徒2127-36      

パウロが生きた時代は、ローマによる平和が保たれていましたが、必ずしもユダヤ人にとって満足のいくものではありませんでした。カイザリヤでユダヤ人が殺害されたのをきっかけに、紀元66年、第1次ユダヤ戦争といわれる戦争が起こりました。70年にはエルサレム市街に火が掛けられ、神殿は破壊されてしまいます。マサダの要害に立てこもった人たちも兵糧攻めによって悲惨な最期を遂げ、74年にこの戦争は終結しました。パウロがエルサレムに来たのは、この戦争が起きる8年くらい前のことであり、当時の街には反ローマ感情を持ったユダヤ人が暴徒のようにしてうろついていたのです。日本に当てはめれば、いろいろな藩のサムライたちが幕末の京都に集結し、一触即発のような雰囲気であったことにたとえることができるのかもしれません。

そんな不穏な雰囲気の中で、神殿に詣でてきよめの期間の終わる最後の日に、アジアから来たユダヤ人によって騒動が引き起こされます。異邦人が入ってはならない神殿の聖域に、パウロがエペソ人を連れて入っていったいうデマによって群衆をあおり、彼を捉えて暴力を加えたのです。まさにリンチです。これまで幾多の苦しみに遭ったパウロでしたが、これで最期かと死をも覚悟したことでしょう。しかしこの騒ぎを知ったローマの千人隊長によって彼はその中から救出され、兵営へと連れて行かれました。あとには大勢の群衆が「パウロを除け、殺してしまえ!」と叫びながらついてきました。千人隊長には、パウロが何者で、何故このようなことになったのか分からないままでした。

この出来事は、イエス様の最期を思い起こさせます。ピラトの前で扇動された群衆は「バラバではなく、この男を十字架につけろ、イエスを除け!」と叫びました(ルカ23:18、ヨハネ19:15)。イエス様は、このような不当な苦しみをそのまま受け、十字架にかかって死なれました。しかしそのことによって、私たちは癒やされたのです。かつて苦難の僕の姿を預言したイザヤ書に書かれているとおりのことが起きたのでした。パウロの受けた苦しみは、イエスの苦難に預かる者だったのです。

1ペテロ2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

又この出来事は、結果としてパウロがローマに行くことに発展していきます。このあと、パウロは群衆の前で、議会の中で、自らの信仰を証しすることになり、カイザリヤに引かれていったところで、ローマ総督にこの逮捕は不当な者であると訴え、ローマへの旅をそこから始めることになるのです。パウロの願いは、イエスキリストの福音を全世界に広めることでした。このような苦難の中で、パウロの願い、すなわち神の御旨が就することとなります。

ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

2013.2.17(如月) NO.396 

2013年2月16日 (土)

LSDのすすめ

今日は、土曜日にもかかわらず、先月に引き続き、かすかべFMクラブさんのランニング教室に行ってきました。講師は走る気象予報士こと、平井信行さんです。前回来ていた小学生の女の子が、名前を呼んでくれたので、うれしくなりました。こちらは皆さんの名前全員をまだ存じ上げず申し訳ありません。

今日のポイントは、LSDでした。といっても、薬物のことではありません。Long Slaw Distanceのことで、ゆっくりでいいから長い時間走ることをいいます。これができれば、つまり長い時間走り続けることができれば、フルマラソンはもちろん、100キロを超えるウルトラマラソンにも対応できることになります。

というわけで、牛島公園から古利根の土手をゆっくり走りました。当面の目標である大凧マラソンに向けて、長く走ることを心がけたいですね。次回は、スピードトレーニングになるかもしれません。平井さんのお話と実技は、たいへん参考になります。

今日は、クラブのTシャツをいただきました(代金は次回に)。仲間に入れていただいた感じで、何となくうれしいですね。ゆっくり長く、そして楽しく走れば、酸素をたっぷり取り込めるので頭もさえてきます。これで明日の奉仕はばっちりかな?

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2013年2月10日 (日)

情けは人のためならず

恵みの共有 使徒21:17-26      

パウロはカイザリヤをあとにして、ついにエルサレムに到着することができました。

この町は、ユダヤ人にとって歴史的に見ればアブラハムまでさかのぼります。特に大切なのは、ダビデ王がイスラエルの都として定めた街(オフェルの丘の南)であり、その子ソロモンが神殿を建てました。その神殿は破壊されてしまい、ネヘミヤによる神殿を経て、この時代には、ヘロデ王によって再建されたりっぱな建造物となっていました。起源70年、ローマ軍によってこの街は滅ぼされ神殿は破壊されてしまうのですが、今日では城壁の西側の部分が残っており、西の壁、嘆きの壁と呼ばれてユダヤ教徒の聖地となっています。

命に危険が及ぶと分かっていながら、彼は何故エルサレムへと急いだのでしょうか。それは、エルサレムこそイエスキリストが十字架で死に、三日目によみがえられたところだからです。イエスを信じる信仰の最も大切なことを示す歴史的な場所であるからです。いわば、信仰の霊的遺産の場所と言えるでしょう。

1コリント15:3,4

私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、

五旬節迄に着きたいというのは、この日がユダヤ人の祭りの日であると言うよりは、教会が生まれた日であるからです。使徒2にあるように、弟子たちが自分たちの国言葉と違う言葉で語ったように福音が全世界に伝えられる記念日にもなっていたからです。

エルサレム着いたパウロは、神のなされたことを報告します。人々はそのことを聞いて神を賛美するのですが、その一方で、パウロたちがモーセの律法や慣習を犯しているという話があることを告げます。それを払拭するために、誓願を立てている4人の人がいるので一緒に神殿に行き、きよめをして、さらに彼らの剃髪の費用を出すようにと、パウロに命じました。お金が絡んでくると,話しはややこしくなるものです。しかしパウロはこの申し出を聞き入れました。すでに異邦人でキリスト者になった者への指導は守られていましたので、ユダヤ人のための行動でした。

ここにも、エルサレムいるユダヤ人キリスト者が、しっかりとキリストに結びつけられ、福音の恵みに預かり、エルサレム教会がこの時代の中心の教会になるようにという祈りがあったのでしょう。

1コリント9:20,23

ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。・・・私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。

2013.2.10(如月) NO.395 

2013年2月 3日 (日)

死ぬことも益なり

カイザリヤの海辺 使徒21:1-16

ミレトで別れを告げたパウロは、エルサレムに向けて再び出発しました。コス、ロドスに寄港し、パタラにわたりました。ここはルキヤ地方の大切な港で、サンタクロースと呼ばれるようになる聖サンタニコラオスが生まれた町でもあるそうです。

そこからフェニキア行きの大きな帆船に乗り換え、キプロス島を左に見ながら南東へと航海を続け、ツロに上陸しました。五旬節までにはエルサレムに着きたいと旅路を急いでいましたが、弟子たちを見つけ出して7日間滞在することとなりました。順調な船旅で、余裕ができたのかもしれませんね。この地にいるキリスト者は、迫害によって散らされた人たちやその子孫であったと思われます(使徒8:1)。そうだとすれば、かつて迫害者であったパウロとの交わりは、どの様なものであったでしょうか。ここの弟子たちはパウロがエルサレムに上らないようしきりに願ったというのですから、本当に親しい交わりになったのでしょう。

ツロ出てトレマイを経由して、カイザリヤに着きました。執事であったピリポは伝道者と呼ばれ、彼の娘たちは預言の賜物を与えられて、神に仕えていました。そこに、かつてエルサレムが世界的な飢饉に巻き込まれると預言したアガポがやってきて、パウロの受ける苦しみを自らの手足を縛って預言しました。これを聞いて人々は、エルサレムに上らないよう頼みました。パウロはいたく心が動揺したでしょうが、「主イエスの御名の為なら、死ぬことさえ覚悟している」と告げたのでした。人々は、主の御心のままにとしか言う他ありませんでした。

パウロのこの姿勢は、主イエス様が持っておられた姿です。福音書には、エルサレムをめざすイエス様の姿が、毅然としたものであったことが描かれています。ご自分の受ける苦しみを弟子たちに話されたとき、ペテロはイエス様を脇に呼んで、いさめたのです。しかし主は言われました。

「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マルコ8:32

イエス様はペテロだけでなく、弟子たちをしかられたのでした。このときのイエス様の思いは、自らが十字架にかかって死ぬこと以外に、人々を救いに導くことはできない、苦しみを受けることこそが、父なる神さまの御心を行うことであると確信していたのです。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。

カイザリヤの海辺から、パウロは何を見ていたのでしょうか。地上の都エルサレムで死ぬことは、豊かな実を結ぶことであり、そこから永遠の国へと出発していくことを、水平線の彼方にある地の果を見つめながら思っていたのではないでしょうか。やがてそこにパウロは、とらわれの身として行くことになるのです。

私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。ヘブル13:14

2013.2.3(如月) NO.394 

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