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2013年3月24日 (日)

シュロの聖日

捨ててこそ生かす 使徒22:22-30

教会歴では受難週に入り、本日はイエスがロバに乗って最後のエルサレム入られたことを記念するシュロの聖日となっています。これは、凱旋した兵士たちを歓呼の声を上げて迎える様子と似ています。

群衆の騒ぎから解放され、弁明を始めたパウロの言葉に、集まった人たちは皆静かに聞き入っていました。しかしパウロが、神は私を異邦人の所に遣わすと言ったと告げたとき、弾薬庫が爆発したかのように、群衆は大騒ぎを始めたのです。いわば、パウロの語った一言が火花となって、ユダヤ人の怒りを爆発させたかのような出来事です。

言葉の通じない百人隊長は訳が分からず、その理由を知ろうとしてパウロを縛りむち打ってその訳を問いただそうとしました。その時パウロは「ローマ市民である者を、きちんと取り調べもしないでむち打ってもいいのか?」と言ったのです。あまりにも突然のことでした。この言葉にローマの兵士は恐れ、パウロから身を引くようになります。一体これは、どうしたことだというのでしょうか。

パウロはタルソ生まれで、両親もローマの市民権を持っていたようであり、生まれながらのローマ市民でした。古代ローマにおけるローマの市民権は、市民集会における選挙権・被選挙権、婚姻権、所有権、裁判権とその控訴権、ローマ軍団兵となる権利などのことでした。また人頭税や属州民税も課されないという、いわば特権とも言えるものです。後になるとこの市民権は、金銭で売買されるようになり、ローマ帝国が滅びた原因の一つになっていったようです。パウロはこの権利を、ローマ皇帝カイザルの法廷に訴えることにも使いました(使徒25:11)。彼は自分の保身のために、この権利を使ったのではなく、たとい苦しみが待っていたとしても福音をローマに、全世界に宣べ伝える為の手段だったのです。

しかしここに、全ての権利を放棄した方がいます。イエスキリストです。人々は、イエスを地上の王としようとしましたがそれを拒絶され、苦難のしもべとして私たちの人生の王となることを受け入れたのです。軍馬ではなく、子ロバにのってエルサレムに入られたのは、ご自分の権威を放棄することが、全ての人たちの救いにつながることを柔和な平和な王として来られたことの象徴です。ここに、私たちが受ける神との平和があるのです。

自分の権利を主張せず、他の人との違いを認めて受け入れることが、お互いの和解へのロードマップなのです。

ピリピ2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、

1ペテロ2:22-24 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

2013.3.24(弥生) 400 

春日部福音自由教会 山田豊

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