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2013年4月21日 (日)

たとい弱さを感じても

イエスの道に従う 使徒24:121

先週は、ひどい風邪に悩まされ、お茶の稽古と祈り会をお休みし、チャペルのお話しもティム先生に代わっていただく始末でした。ドクターによれば「免疫力が落ちている」とのこと。身体に弱さを感じるとは、いろいろなウイルスへの抵抗力や免疫力が落ちていることをいうのだと実感しました。

カイザリヤに移送されたパウロは、ローマ総督ペリクスの法廷に引き出されました。エルサレムからやってきた大祭司アナニヤは、テルトロという弁護士にパウロについて訴えを任せました。彼はペリクスの歓心を買うようなことをまずのべ、主に3つのポイントを訴えたのでした。第1は、パウロはペストのような困った存在であること、第2は、ナザレ人という一派の首領であること、そして第3に彼は神殿を汚すことをした、ということです。

しかしこれらのことは全てでっち上げられたものであり、パウロはこれらを真っ向から否定します。それだけでなく、これらのことを証明できるものはいないと、断言したのです。神と人の前に、常に真実であった揺るぎないパウロの確信を表しています。

このような中で、パウロは自らを人々が異端と呼んでいるこの道に従っている、と明言しました。この当時は、まだ、キリスト者という呼び名があまり使われていなかったのでしょう。道という言葉は、柔道や茶道等という文化を持つ日本人にはかえってわかりやすい言葉です。ナザレ人という一派とは、具体的にどの様なものかはっきりしませんが、イエスのことを軽蔑的にナザレ人と呼ぶことがありました。パウロは、あえてこのようにいうことによって、人々から異なる教えであり、軽蔑されていわれている言葉を用いることによって、イエスに従うが故に苦しみを受けることもまた益であると、という信念をここに表しているのではないでしょうか。

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。ピリピ1:21

またパウロは、自分が訴えられていることは、死人の復活ということであることも明らかにしました。全ての人がよみがえらされて、神様の前に裁きを受けなくてはならないことを、明らかにしました。これまでのパウロの主張に、何の変わりもありませんでした。

いろいろな困難が私たちを襲ってくるでしょう。どんなに免疫力が落ちても、イエスの道を進む力を、神様は与えてくださっていると信じていきたいですね。

神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。ローマ8:3337

2013.4.21(卯月) 403 

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