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2013年5月 5日 (日)

何ごとの・・・

恐れなく近寄れ 使徒24:22-27

今年のGWは、どの様に過ごされたでしょうか?私は、3日は教会学校のピクニック、そして昨日の4日は、大凧マラソンに参加してきました。マラソンのことは、ブログをご覧いただければうれしいですね。

もう一つ、連休初日に上野の国立博物館で行われている「大神社展」を見てきました。今年は、伊勢神宮の式年遷宮の年に当たっているので、全国の神社にある宝物が集められたと、ガイドブックに書いてありました。

伊勢神宮と言えば、西行の歌が有名です。平安時代末期の歌人で、伊勢を訪れて外宮を見て歌ったと言われています。

「何事の おはしますかしらねども かたじけなさに 涙こぼるる」

これは、日本人の宗教的な感性、宗教心を良く表している歌であるということで、良く引用されています。確かに日本人の神観には、何か人間や自然の営みを超えた大きな存在を恐れ、はっきりはしないけれども、それに対して畏怖の念を持って過ごすことがあると思います。むしろ、それが何であるかをはっきりさせないところが、ポイントかもしれません。

カイザリヤに移されたパウロは、ペリクスの前に引き出されました。彼とその妻ドルシラはパウロからたびたび話を聞きましたが、ユダヤ人の訴えに対してはっきりと断を下すことはせず、彼が更迭されるまで約2年間も、牢に繋いだままにしていたのです。

確かにペリクスは「この道」について詳しい知識を持ち、パウロの話を興味深く聞いたことでしょう。しかしその話が、「正義と節制とやがてくる審判」に及ぶと恐れを抱き、それ以上のことは聞かなかったようです。むしろ、パウロは初代教会の中心人物であると考え、お金を受け取って保釈しようとしていたようです。

彼は確かに、パウロの話を聞きました。しかし彼の話は、ドルシラを離婚させて無理矢理3番目の妻にした不節制を思い起こし、最後の審判の話しを恐れたのではないでしょうか。彼の恐れの感情は、神様を遠ざけ、救いの道を自ら放棄してしまうものでした。

2コリント7:10  神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

神を恐れ、自分の罪を示されたとき、悲しみの中で悔い改めることが、神様に立ち返る道なのです。

私たちの主イエスは、自らが苦しみを受けて罪を負ってくださり、救いのみわざをなす、大祭司となってくださったのです。ここに、神様に大胆に近づく道が開かれたのです。イエスキリストが犠牲のささげものになってくださったので、私たちは自らの罪を悲しみ、神を恐れる砕かれた心を持っていけばいいのです。

ブル4:16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

2013.5.5(皐月) 404 

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