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2013年7月28日 (日)

荒海を渡るには

渡海の前に エペソ610-24

この夏、家を出て旅行や山登りに行く方があるでしょう。出かける前には、いろいろな準備が必要ですね。とくに遠く海外に出かけるとなると、しっかりと準備をし、不測の事態に備えて保険をかけるというようなこともあるでしょう。

使徒の働き2728章は、カイザルの法廷に訴えていたパウロのローマへの船旅の物語です。現在とは違い、海を渡ること自体が命がけのことだったと思います。この渡海の備えは、カイザリアでの2年間にわたる牢獄の中でできたのではないかと思います。エペソ人への手紙はローマに行く前に書かれたものであり時間的には前後しますが、パウロのローマへの旅の備えが言葉となって表わされていると考えることができます。

キリスト者は、暗闇から光の中に移されたような者です。

神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。コロサイ113

この世にいながら、神のものとされているのです。それゆえキリスト者や教会は、その時代の秩序を守るのですが、神様の喜ばれることではないと思う事には、抵抗することがあります。しかしそれは特定の政党に対抗したり、破壊的な行為をすることではありません。パウロが言うように、キリスト者の真の敵は暗闇の世界の支配者でありサタンであり、霊的な戦いがそこにあるからです(10-12)。

それゆえ、この戦いに備えるために、神の武具を取るように勧めています。これは比喩であって、実際に争いを起こしたり、戦争を仕掛けることではありません。1317に描かれている武具は、当時の戦闘で使われていた武器をイメージしたものであり、剣以外は防御のための武器です。

かつてネヘミヤの指導によって城壁の再建工事をしていた民は、武器を携えていましたが、それは敵の妨害から防ぐためのものでした(ネヘミヤ4:16)。パウロの描く武具は、真理の帯、正義の胸当て、平和の福音というサンダル、そして信仰の大盾、救いの兜です。神の言葉が的に切り込むみ言葉であり、かつてイエス様の悪魔の誘惑を受けた時、み言葉を持ってこれに対抗しました。私たちも、これら一つ一つをしっかりと点検する必要があります。

そのうえでパウロは、聖霊によって祈ることを勧めます。自分のためにも、祈ってくださいと言います。戦いのときに必要なのは、お互いのことを気遣う取りなしの祈りです。実際の戦争でも、味方の様子を気遣い、時に応じて援軍を送ることにたとえることができるでしょう。たとい牢獄にあって鎖に繋がれていても、み言葉を語ることによって戦う事が出来るのです。個人的な名前をあげ、教会の祝福をパウロ自身も祈って、この手紙を閉じるのです。

今と違い、昔の船旅は、死を覚悟したものだったでしょう。自ら死の備えこそが、渡海の備えに他なりません。それは、たとい自分の命が散ったとしても、福音によって人々が救われることを願う、パウロの熱い思いから出たことでした。

それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現わされることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。ピリピ1:20

2013.7.28(文月) 408 

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